ピーテル・ブリューゲル《怠け者の天国》

オランダ語のタイトルはLuilekkerland、日本語だと《怠け者の天国》。1567年にブリュッセルで描かれたピーテル・ブリューゲルの作品で、現在はドイツ、ミュンヘンの古典絵画館に所蔵されている。

一見すると地味な色調で、描かれている内容もすぐに伝わってこないが、非常におもしろい絵だ。画家の死の2年ほど前に描かれた。40歳ちょっとで早死にしたブリューゲルにとっては「晩年」の作品。政治と宗教の混迷が深まり、その当時のネーデルラント(今のベルギー北部、オランダ)は明るい時代ではなかった。時代を反映してか、この頃のブリューゲル作品は独特の暗いユーモアをたたえた不思議な雰囲気をまとっている。

タイトルから分かるように、この絵の登場人物たちはみな「怠け者」である。中央の木の根元に、聖職者(学者)、兵士、農民が、ゴロゴロと寝転がっている。彼らの社会的地位と職業は、身につけているものや、そばに転がっている商売道具で判明する。聖職者は本、兵士は槍と甲冑、農民は唐棹(からざお)と呼ばれる脱穀の農具の上で眠っている。ちなみに、聖職者は毛皮のコートの上、兵士はクッションを頭にし、農民は地べたという分かりやすい社会差別も確認しておこう。

16世紀当時、大地から食物を作り出し、野山で肉を狩り、海川から魚を得るには、相当の苦労が必要だった。食料の重要性は現代人とは比べるべくもない。食うに困らない世界があれば、行ってみたいと誰しもが願ったに違いない。その欲望がユーモラスに画中に表現されている。テーブルの上には肉と酒、少し後ろには「ナイフを背負った豚」や「皿の上の鶏」が見える。左上にいる兵士の従者(兵士の甲冑の一部を拝借中)はタルトがタイルになった小屋の中にいる。これは《ネーデルラントの諺》にも出てくる、お金持ちの家の象徴である。さらに後ろのほうには、垣根がソーセージでできているのが分かるだろうか。右側のサボテンはタルトである。そして画面中央手前には、ボッシュ風の卵の妖怪(?)がナイフを刺して歩いている。

食の不安から解放されて、ぐっすり休憩できる贅沢、、、は、実は称賛されることではなかった。怠けたり、欲深いことはカトリックの教義では「大罪」であるからだ。七つの大罪セットを確認してみよう。高慢、物欲、ねたみ、憤怒、貪食、色欲、怠惰。宗派や時代によって多少異なるが、人間の欲望は概して悪であるようだ。まるまると肥え太って惰眠をむさぼっているのは、真面目なキリスト教徒からすると罪人というわけか。

しかし、ごろりと転がった姿が、なんとなく憎めない3人。ブリューゲルは高い教養を持った絵画職人だったが、罪人をただの罪人とは描いていない気がする。現代ニッポンに置き換えると、休日のお父さんのよう。仕事で疲れてストレスで食べ過ぎて、たまの休日にゴルフか野球をテレビで見ながら、ついウトウトと眠りこんでいるパパの姿に見えないだろうか? 

この絵が描かれた年、スペイン王の命を受けたアルバ公が6万の大軍を率いてプロテスタント教徒を制圧すべくネーデルラントに侵攻した。当地の総督となったアルバ公は、血の審判所を設けてプロテスタント教徒を多数処刑することになる。宗派間の対立を理由に同じキリスト教徒が憎しみ合い、殺し合い、その禍根が今も国境となって残っている。

暗い時代に救いを求めた人々は、せめて夢の中だけでも「食うに困らない天国」を想ったことだろう。画面の右上、なにやら山から這い出してきている人物がいるのに注目して欲しい。彼はスプーンを片手に持っている。これは蕎麦のお粥の山を食べてくぐり抜けたものは「怠け者の天国」にたどり着ける、という言い伝えを絵画化したものだ。彼は成功し、これから美味しい肉と酒を腹一杯食べ、泥のように眠ることが許された。さあ、暗い話はなしだ。心ゆくまで怠けるがよい。

18.jul.2016 by Tyltyl

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