ベルギー建国の歴史

ベルギーが建国したのは1830年。毎年7月21日の「建国記念日」は、翌31年に初代国王レオポルドが憲法に忠誠を誓うと議会で宣誓した日であり、ベルギーが立憲王政国家として正式に発足したことを記念している。

ネーデルラント王国(オランダ)からの独立

1830年、ベルギーは現在のオランダであるネーデルラント王国(国王はウィレム1世、写真下)の統治下にあった。ベルギーの地だけでなく、ルクセンブルク大公国も支配下に置かれていた。

政治経済の重要決定がアムステルダムでなされる不平等感、宗派の対立(オランダ側はカルヴァン主義・プロテスタントに対してベルギー側はローマ・カトリック)、さらに南部ワロンは当然のこと、北部フランデレンにあっても重要な言語はフランス語という違いがあり、オランダ主導でベルギーとルクセンブルク大公国を統治するのには軋轢が生じすぎていた。

この年、隣国フランスでは7月革命(写真、ドラクロワ画)が勃発。ブルジョワ階級が蜂起して旧態然とした王政を打ち破った。こうした革命は近隣都市に伝播していく。

しかし、意外なことにベルギー独立の革命の直接的な火種になったのは当時人気の「オペラ作品」だった。題目は『ポルティチの唖娘』(おしむすめ)。初演は1828年。

この作品は当時としては新鮮味を帯びたもので、まず主役の少女が声が出ない。(そのためダンサーが配役された)5幕もので長く、大編成のオーケストラが演奏し、舞台装置も派手だった。何よりスペインの支配から立ち上がるナポリの漁村という設定が、抑圧的支配を力づくではねのける独立思想に満ちていた。

1830年8月25日、モネ劇場で『ポルティチの唖娘』を観劇した民衆がデモ行進し、一部が暴徒となって政府の役所や役人の家を襲撃。その後、より組織化され本格的な独立運動として発展する。

同年9月23日、オランダ軍は武力により鎮圧を決定し、軍隊をブリュッセルに派遣。王宮前のブリュッセル公園が主戦場となってベルギー独立派とオランダ軍が衝突した。

9月26日、臨時政府が樹立。10月4日、独立が宣言された。この瞬間、ベルギーという国家が誕生した。欧州諸国はロンドンで会議を開き、中立国となることを条件にベルギーの独立を承認。ただし、国土を失うことになるオランダは当然大反対であり、1838年になるまで独立を認めなかった。

11月10日、国民議会が開会。そして、翌1831年2月7日、憲法発布。7月21日に、ドイツのザクセン=コーブルグ=ゴータ公のレオポルドが王座につき、立憲王国としてのベルギーが歩み出すことになる。

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