ヨーロッパ式・書籍の流通

2009年10月21日に書いた文章が、ひょっこり出てきた。

すごい懐かしい。そして若い・・・青い・・・。

 

 

三日間フランクフルト(ドイツ)に行ってきた。

フランクフルトは書籍のフェアが毎年行われていて、僕としてははじめてのイベント参加。今回の旅の目的はなかなか会う機会のない業界関係者とネットワークを広げ、ビジネスの話を聞くこと。特に書店流通関係の人たちに会えたことは、貴重な経験になった。

ヨーロッパのことは、日本にいても情報が入ってくるが、肌で違いを感じ取るという経験はできない。

 

ドイツおよびヨーロッパの本の流通の特徴は、「書店が注文した本しか流通しない」というところにある。

つまり、書店もしくは読者が、欲しい本を流通会社に依頼して送ってもらうというシステム。

 

<ヨーロッパ式>

書店→注文→流通会社→書店

そんなの当たり前じゃないかと思われるけれど、日本では流通会社の担う役割が大きい。

日本では、出版社が流通会社に商品を納入し、それを流通会社が書店に配るというシステムが大きな力を持っている。

毎日のように出版される新刊本は、書店の注文を待たずして、半ば強制的に書店に配本されていく。

 

<日本式>

出版社(まとめて納入)→流通会社→書店

もちろん、書店や出版社は読者の注文も受け付けるし、独自色を持った書店もある。

(ヨーロッパでも流通の簡便化をはかって自動配本システムを一部採用しているところもあるだろう)

上の図式は、あくまでも単純化したものだけれど、日本の出版の行き詰まりは、実にこの部分に重大な問題があるといわれる。

注文もしないのに、勝手に本が送られてくるというシステムは、書店の機能を低下させ、出版社の努力を鈍らせる結果となって表れている。

日本の書店は、流通会社から送られてくる最新刊を見て、お店に置いておきたいものを選んで、残りは全部返品してしまう。

「新しい本」イコール「売れる本」とは限らないが、常に店頭に新刊本が並び、どこの書店に行っても同じラインナップが並ぶという総コンビニエンスストア状態が実現する。

コンビニエンスストアを「便利」だと考えるか、「個性がない」と考えるか、それは個人の好みによるが・・・・・・

ヨーロッパの流通は、注文がないと動かないので、書店のアクションにしたがって迅速に動くものの、自分のほうから必要のない本をわざわざ運ぶことはしない。大手チェーン展開している本屋もあまりないので、どこに行っても同じ品揃えということはない。

常に新しい本が、どこでも手に入る日本とは違い、非常に個性的な店舗づくりがなされ、書店員も本のセレクションを楽しんで仕事をしている感じを受ける。本だけではない、DVDレンタルショップのお兄さんも、レジでお勘定だけしているのとは訳がちがう。

映画に精通していて、客との会話にもプロの意識が宿っている。(少なくとも僕の行くショップは)

ヨーロッパの客は、何をしたいのか、どうしたいのか、自分の意志を明確に持っていて、本でも食事でも「欲しいもの」に関して自己主張をしてくる。自立している。

お店の側も、それに応えるためには、客の要望に耳を傾けて、会話を通じてニーズを探っていかなければならない。業界の慣例にしたがって、自動的に送られてくるものばかり並べて終わりということだと、お店は長続きしないのだろう。


こちらでディストリビューター(配本、流通の会社)の仕事をしている人に話を訊くと、出版社と契約して倉庫に納品されたら、その商品は書店等からの注文がないかぎり動かないという。

うちの会社は「倉庫とトラック」だから、売るためのマーケティング(宣伝)は出版社の仕事だからね、とはっきり言う。

ここまではっきり言われると、かえってすがすがしい。

 


日本の出版の現場や書店で働く店員が、これまで努力を怠ってきたというわけではないと思う。

もちろん内部を知っているわけだから、問題提起をしなければいけない立場ではあるが、日々の業務に追われては、出版業界の未来について革命を起こす運動などできない。

出版社の編集者は結局のところ会社員であって、組織のなかで自分の役割を果たすだけが仕事である。

書店員の場合はもっとひどい。アルバイトばかりの売り場では、夢物語のように語られる「工夫のある売り場づくり」など到底不可能だ。社員として働く書店員だって、頻繁に売り場を異動になるので腰を落ち着けた仕事なんて絶対できっこない。

理想をいえばきりがない。出版は文化の一翼を担うものであり、政治や社会、経済に対して独立して発言するメディアという「権力」だ。

しかし、その現場を担う若い世代が育っていかない。人材を育てるにはその業界自体にある程度の余裕がなければならない。その余裕がなくなってきている。

製作過程のコンピュータ化も、ベテランと新人を隔離する要因の一つだと思う。安く、早く仕事を終わらせるためにはコンピュータのソフトを使えなければ今の時代やっていけない。しかし、古い世代は新しいシステムになじめず、技術の継承をする暇もなく業界の隅っこに追いやられてしまい、安易な仕事に危機感だけを募らす。若い世代は古い世代の無理解とコンピュータ作業に対する過少評価と無理な要求に辟易して、世代間ギャップは深まるばかりだ。

レベルの違う人間が玉石混交とばかりに入り乱れるのが今の日本の出版業界だ。

製作テクノロジーの進化と、業界の古い慣習に振り回されて、普通の人間が立派な仕事をする環境が損なわれていると思う。

 

その中で、新しく出版社を作ったり、今までの業界とは一線を画した本づくりをしている人がちらほらと出てきている。全体から見れば、ごく少数の人たちだけれど、期待に満ちたまなざしを浴びている。

それは、これまでの業界のあり方に大きなクエスチョンマークが投げかけられている証拠だと思う。

出版は新規参入が難しいといわれるけれど、少数精鋭で楽しみながら会社を立ち上げている人もいるわけだ。

利益追求という点だけで考えると、今さら出版なんて古臭い業界に固執するなんて馬鹿げている。それでも何か価値のあるものを作ってみたいという人には、長い目で見れば、いい仕事なんじゃないかなと思ったりもする。

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