第5代ベルギー国王が義母と不倫?歴史アーカイブで発覚。

ボードワン国王が義理の母リリアンと不倫関係にあったと、ブリュージュの歴史アーカイブに保存されていたベルギー首相の書類で明らかになった。

ボードワンは1930年に誕生。ベルギー第5代の国王で、現在のフィリップ国王の伯父にあたる。

ボードワンの父レオポルド3世は、スウェーデン王族であるアストリッドと最初の結婚をしたが、1935年、彼自身が運転する自動車で事故を起こし、王妃は死亡してしまった。アストリッド王妃が幼い子供たちを残して他界し、戦争の騒動で国中が大変なときに、レオポルド3世は平民の娘であるリリアン・バエルと結婚する。1941年のことだった。当然、国民のウケは最悪だった。

1951年、ボードワンは国王に即位した。20歳の若さだったが、父の国王レオポルド3世が第二次世界大戦中にドイツ・ナチスと近い関係にあったことが問題視され、政府の判断で譲位となった。

アーカイブで公開されたアヒレ・ファン・アッケル首相の日記には、50年代のはじめ頃に、リリアンと義理の息子であるボードワンが親密な関係であり、政府として憂慮していると記されていた。

同じ夜行列車の寝台車でチロル地方に旅行したり、コートダジュールなど風光明媚なところにも行っているとある。また、ボードワンの電話は盗聴されており、彼が「僕は君のものだよ」「決して別れない」など義母に伝えているのが、ファン・アッケル首相に報告されている。(写真下が義母リリアンとボードワン王子)

レオポルド3世の前妻アストリッドが人気であった反動もあり、後妻のリリアンは国民の評判は悪かった。結婚に際して、ヒットラーが花を贈ったということも災いした。近しい友人たちは知的で活発でユーモアのセンスもあり、素晴らしい人だったと回想している。前妻の3人の子供たちとも仲が良かったという。彼女自身も3人の子供をもうけたが、これに関してベルギー王宮は王座の即位などは認めなかった。称号も「ベルギー王妃」ではなく「ベルギー王女」であり、「ド・レティ王女」(Princesse de Réthy)と呼ばれた。

写真上:椅子に座っているのが、リリアンと夫のレオポルド3世。リリアンの膝の上には彼女の長男アレクサンドル。後ろに立っているのは、レオポルド3世が前妻アストリッドともうけた3人の子供たち。真ん中のメガネ姿が後のボードワン国王。

ボードワンは1960年にスペインの貴族ファビオラと結婚し、不倫発覚をおそれていた政府要人たちも安心した。これにより、レオポルド3世とリリアンはブリュッセルの北にあるラーケン王宮を去り、ブラバント地方のワーテルローにほど近いアルジャントゥーユ城に移る。この頃から、かつての恋人同士リリアンとボードワンの関係は険悪なものになっていったらしい。ただし、ボードワンの弟アルベール2世は、リリアンと友好的関係を続けた。

1983年に夫レオポルド3世が、そして1993年にかつての恋人ボードワンが逝去した。リリアンは想い出のアンジャントゥーユ城に暮らし続け、2002年に亡くなった。リリアンの娘の一人、マリー・エズメラルダは文筆家としてイギリスを拠点に活躍している。

7.mar.2019