ベルギーとイランが「人質交換」?人権活動家が455日後に解放される

ベルギーとイランが「人質交換」?人権活動家が455日後に解放される

去る5月26日、イランで抑留されていたベルギーの人権活動家、オリヴィエ・ヴァンドゥカステール氏(写真)が釈放され、ベルギーに帰還した。拘留は実に455日間に及んだ。
同氏は、トゥルネー生まれの42歳。数々のNGOの代表を務め、マリやアフガニスタンで働いてきたが、昨年2月24日にイランの首都テヘランで逮捕された。
理由はスパイ活動、アメリカへの協力、金貨の密輸、マネーロンダリングなどの容疑。今年1月に、懲役40年と74回のむち打ち刑が言い渡された。死刑になる可能性もあったと言う。
ベルギー政府はこの抑留に抗議し、イラン政府と交渉を重ねてきた。その結果、フランスのヴィルパントでのテロ未遂事件にかかわり、アントワープで拘留されていたイラン人外交官アサドラ・アサディ氏をイラン側に引き渡す「人質交換」により、ヴァンドゥカステール氏の解放に成功した。
背後には、オマーン政府の協力もあった。イランとベルギーに話し合いの場を提供し、人質解放の仲介の役割を果たしたのだ。
同氏の帰還は、イランで囚われていた他のヨーロッパ人の人質三名の解放にもつながった。
ファンクイッケンボルネ法務大臣は、「これは将来にとって重要な一歩である。我々は国として、そしてEUとしてイランのシステムに同意できないことを示した」と語り、ドゥクロー首相、ラービブ外務大臣とともに、EUとしてイランの人質戦略に対抗することの重要性を訴えた。
イランは1979年の革命以降、イラン・アメリカ大使館人質事件や核兵器開発の影響で、度重なる制裁・非難の対象となっている。国際社会との軋轢が簡単に消えることはなさそうだ。

(写真:王立美術館に掲げられたバナー。ヒジャブの着用をめぐって逮捕、その後に謎の死をとげた若い女性の名前をかかげ、人権抑圧に抗議するベルギーの風景)

テヘラン市長がブリュッセルの市庁舎へ?

イランとの人質交換が話題となる中、ブリュッセルで起きたある出来事が物議をかもしている。
6月12日に、ブラッセルズ・アーバン・サミットの一環で、テヘラン市長のアリレザ・ザカニ氏が市庁舎に招かれたのだ。連邦議員のローニ氏はこれに対し、SNS上で「彼を招いたのは重大な政治的過ちだ」と抗議。
ブリュッセル市長のフィリップ・クローズ氏は、「ケース・バイ・ケースで来客を拒むことはできない」としたが、サミットの担当者のパスカル・スメット氏は辞任する事態に発展。
ラービブ外務大臣も野党からの追求に四苦八苦している。人質交換の交渉のタイミングに重なったことが、この問題を複雑にしてしまった。

 
イラン・アメリカ大使館人質事件


第二次世界大戦後のイランは、パフラヴィー皇帝の下で親米路線を取っていたが、ホメイニ師を中心とするシーア派の反体制運動が次第に激化し、ついに1979年1月にイラン革命が起こった。
革命政権が亡命した元皇帝を受け入れたアメリカ政府に抗議すると、首都テヘランにあるアメリカ大使館は暴徒らに占拠され、人質が取られた。
その後パフラヴィーの死去などをきっかけにイラン政府は態度を軟化させ、レーガンがアメリカ大統領に就任した1981年1月20日、実に444日ぶりに人質が解放された。
なお、カナダ大使館に逃げこんだ6名はイランからの脱出に成功したが、その逸話は『アルゴ』というタイトルで映画化された。

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