ルーマニア紀行

ルーマニアの田舎にて。

シギショアラからブラショヴに電車で移動しようと予定を立てていた。私たち二人は小さな駅にお昼ごろ着いたが、切符売りの窓口に行くと、愛想のない女性係員から、満席の便が多く3時半まで待たないと電車に乗ることができないと告げられた。そして、鈍行しかないとも。しかたなく街に戻り、カフェでゆっくりと時間をつぶした後、ふたたび駅に戻ってきた。

プラットフォームで私たちを待っていた電車は見事なまでの骨董品で、現役として活動できる寿命がどれだけ残っているのか疑問に思わせるものだった。しかも機関車に接続されたのは客車が一両のみ。薄い水色の車体はあちこちでガタがきており、ペンキのはげた部分は錆の赤茶色で汚れている。

まさか一両しか客車がないとは思わなかった。発車の30分前に着いたのにもかかわらず、多くの人がすでに乗り込んでいる。まずい。すべて自由席なので、3時間以上の長い道中、席に座れない可能性もある。慌てて車内に乗り込んで、さらに驚かされた。

ロマ族ばかりだ。

 

6人がけのコンパートメントが並ぶレイアウトの電車には、浅黒い顔と黒い髪をしたロマの家族だらけ。プリーツのスカートの女や、帽子をかぶった彫りの深い顔立ちの男たち。

熱気で息ができないほど暑苦しい通路を急いだが、すべてのコンパートメントの座席はすでにだれかが座っており、人がいない席も帽子が置かれて「予約済み」という具合だ。通路にも何人か立っている状態で、これでは何時間も立ちっぱなしで次の目的地に移動するはめになる。そう思うと絶望的な気持ちになった。この旅では、冷房のない乗り合いバスも経験済みで、ルーマニアの強烈な太陽は充分すぎるほど味わってきたのだ。

突然、通路で英語で話しかけられた。

「落ち着け。この電車はブラショヴに行くから」

そういったのは、見るからに怪しい男だった。

「こんなに暑いのに、席もない電車に乗っていられない」

「大丈夫。走りだせば、だいぶ涼しくなる。少し辛抱すればいいんだ。ところで、切符は持っているか? お金はあるんだろうな?」

男は自分のポケットから二つ折りの黒い皮財布を取り出し、訊いてきた。

ロマ族ではないが、詐欺師かなにか精神異常者のようで、関わりあいたくないタイプの人間だ。

「切符はある」

「なら大丈夫。でも、先ほどから少し目立ちすぎている。おとなしくしたほうがいい」たしかに地元の人間ばかりの空間に、アジア人の観光客は浮いてみえる。この男が怪しいのは確かだが、不思議と心が落ち着いてきた。彼の話ぶりには、どこか鎮静効果のようなものが備わっているようだ。

「連れの女性は美人じゃないか。中国人のわりにはずいぶんと背が高い」とお世辞を言ってきたが、危険の香りは強くなるばかり。

男とは距離を取り、いったん切符売り場に戻って次の電車はないか聞いてみたが、それも売り切れたということ。単純に車両の数が足りないのではないか。ルーマニア鉄道に憤慨するが、しかたない。車内にこもった熱気を辛抱して通路で立ったままいることにした。

鈍行電車はロマ族のリビングと化しており、コンパートメントのガラス扉越しからは好奇心に満ちたまなざしが私たちに向けられた。ブリュッセルやパリにいるロマ族の女たちは物乞いばかりだが、ルーマニアのロマは全員がそうとは限らないようだ。人口だって62万人いる。北インドを起源とした特殊な流浪の民。

ゆっくりと電車が走りだし、鈍行電車の旅がはじまった。

私たちは車両のなかほどにある大きく開いた窓に陣取り、流れ込む新鮮な風を吸い込んだ。コンパートメントの窓は開けられず熱気がこもったままなので、温度という点だけ見ると通路にいるほうが楽である。ただ、見るからに怪しげな正体不明の人物も多い。

今度はネル生地で冬用のシャツを着た農民風の男が「水をくれないか?」と聞いてきた。といってもその男はルーマニア語しかできないので、アパ(水)という単語とジェスチャーでの会話になる。

「水は少ししかないので、分けてあげることはできない」と告げると、がっかりした顔になった。気の毒だが、こちらも熱中症になりかけの身で、地元の人を救うほど余裕はない。午後一番暑い時間帯。8月のルーマニアは連日30度越えで、鉄でできた電車はフライパンのように熱を帯びていた。

ネルシャツ男は他の乗客たちにも水をせがんでいた。その様子から判断するに、どうも農民ではなくホームレスの乞食のようである。

何度も断られたのちに、ロマ族の若い女性にお願いをしはじめた。彼女は大きなプラスチックボトルに半分ほど水を持っていた。異国の言葉で意味は分からないが、周囲の人間も巻き込んでの交渉が続く。ネルシャツ男の熱心な要望が通じたようで、どうやらロマ族はこの男を救済すべしという結論に達したようである。女性は大きなボトルから2度、3度と最後のラッパ飲みをしたあと、少々恨めしそうな目で男をにらみながら水を手渡した。ネルシャツ男は、感謝してそれを受け取った。

ロマ族から施しを受ける。それはアラブ人に絨毯を売ったり、エスキモーに氷を売ったりするより難易度の高い離れ業のように思えた。南国の強い光にキラキラ光る水のボトルがロマからネルシャツに渡る瞬間の、その驚きを私は忘れることができないだろう。

さて、シギショアラからブラショヴまで鈍行による所要時間は3時間25分。走る電車で立ち続けるのは厳しい。しかし、出発から30分もした頃だろうか、いくつか駅を通過したところで、意外に人が乗り降りするのが分かった。帽子をかぶったロマのおじさんが、私たちは降りるから君たちここに座りたまえ、というジェスチャーで誘ってくれた。ありがたい。コンパートメントは暑いし、座席も古くて汚らしいが、贅沢は言っていられない。実際にその駅で降りる人の数は多く、無事に席を確保することができた。

この地でのコンパートメントというのは、3つの席が2セット向かい合った状態で小さな部屋を構成したものである。当然、見ず知らずの他人と相部屋することになり、向かい合って座ることによる心理的効果は、なかなか面白いものがある。各駅停車ならではというか、登場人物がしだいに変化していくというドラマ性もある。

最初の登場人物のなかには、モミの木に百合の花が飾られた80センチほどのオーナメントを手にしたロマ族の老女がいたり、小さなメモ帳にしきりと何か書きつけている白人男性がいたりと、個性的なキャラクターには事欠かない。白人男性は英語がしゃべれるインテリであることが判明したが、ボリボリとむさぼるようにピーナッツを食べたりする様子などから、一風変わった人物であることに間違いなさそうだった。

明るい昼間のことなのに、彼は天井の照明が点くのかチェックしはじめた。文字を読んだり書いたりするのに充分すぎる光があるのにと不思議に思ったが、理由は後で分かる。トンネルだ。電車がトンネルに入ると、照明のない車内は真っ暗になった。その暗闇は急速にその濃度を増し、我々は1ミリ先も見えない漆黒の闇に包まれた。これほどまでに完全な暗闇を体験したのはいつぶりだろう。当然、隣人の文字との格闘はここで中断させられた。

またしばらく行くと、さらに乗客の数は減った。我々はより空いたコンパートメントで足を伸ばして座ろうと、席を替えることにした。見ると隣はネルシャツ男が一人でぽつんと座っている。少々臭いが、害のなさそうな人物でもあるし、こちらに引っ越すことにした。すると彼は嬉しそうな表情を浮かべた。そしてルーマニア語での会話がはじまる。

ルーマニア語はおそらくイタリア語に一番近い。ラテン語ベースの言葉ができる人にとって、書かれた単語を見ると相当の意味が推察できる言葉である。駅はガーラ、切符はビレット。これらはフランス語そっくり。プラットフォームがペロンだったが、これはオランダ語と一緒でなんだか嬉しい。

とはいえ、「ありがとう」もろくに言えない観光客が、ほぼジェスチャーのみで地元のホームレスと会話を成立させ続けることは困難で、英語やフランス語はできないのか?と訊くも、ルーマニア語オンリーという回答で、我々の会話は早々に終了し、沈黙の多い時間が続く。

しかしネルシャツ男は、なにか我々に訴えたいことがあるようだ。

彼が打ち明けたところによると、といっても片言とジェスチャーで解読したのだが、電車の切符を必要な区間分持っていないという。車掌が定期的に検札に回ってくるが、鉄道の職員は全員いじわるで、料金を払わないと電車から追い出されるという。ついては5レイほど融通してくれないかとのこと。ユーロでの価値は1ユーロちょっと。(150円ほど)

男は長身でやせていた。40代中盤くらいだろうか、顔は赤茶色に日焼けし、だから農民かと思ったのだが、そこに深い苦労の皺が刻みこまれていた。澄んだ色の瞳は憂いがにじみ、お金に困っていることまでは理解できるが、なぜ彼がそこまで追い込まれているのか、安定した生活を得るための解決策はないのか、なぜそのような状態で長距離を移動する必要があるのか、彼の問題の背景には簡単に経済的なものだけでない、複雑な過去や精神的な傷などがありそうで、呑気な旅行者がどう関わっていいものやら即座に判断できないと感じた。

お金をあげることはできないと断った。彼はまたがっかりとした表情をしたが、怒ったり、しつこく食い下がったりはしない。

しばらくすると、2人の子供を連れた若い夫婦が、我々のコンパートメントにやってきた。ご主人のほうは肌の白いルーマニア人。奥様のほうは褐色の肌で、ロマ族の血が入っているらしい混血だと思われる。

ネルシャツ男は、今度は彼らに電車代を恵んでくれないかと打診した。これには奥様のほうが同情し、渋るご主人を説得して10レイを彼に手渡した。ネルシャツは感謝を述べた。その間、夫婦間のやりとりと事態の進展を、子供たちは指をしゃぶりながら真剣なまなざしで見つめていた。母の優しさと強さを、息子と娘はしっかりと目撃した。

車掌がやってきて、ネルシャツからお金を受け取り切符とお釣りを手渡した。女性の車掌はホームレスがお金を支払ったことに、いくぶん驚いた様子だが、特に何も言わなかった。ネルシャツはお釣りの小銭を家族に返そうとしたが、彼らはそれを自然に押しとどめて、次の駅で電車を降りていった。

以上が、暑くて汚い鈍行電車のドラマである。

喜捨行為が尊いとか、弱者は救済されるべきであるとか、そんな一方的な教訓話ではない。いくばくかネルシャツに恵んであげたところで、彼が安定した人生を再始動させる見込みは薄そうだ。冷静な目で見れば見るほど、彼にはより根本的な癒しと再生への手助けが必要なのだと思う。たとえば彼を守る家族の愛とか、逆に彼を頼るものの存在だとか。

私にとって、ロマ族が他者に施しをする存在になりうるという事実に開眼できたのは大きい収穫だった。今、ここで困っている人が助けを求めてきたのなら、面倒だし嫌だけれど自分の持っているものを分け与えるしかないんだ、という生き方を見たのだと思う。ブリュッセルの街の雑踏で不潔な路上生活を送り、子供を抱えて物乞いをするロマ族たちのイメージが強く、冷酷な差別的な視線でしか彼らを見ることができなくなっていた。

旅の後半で、急行電車のコンパートメントにも乗った。指定席で冷房も照明も動作し、普通の生活を送る普通の人々と相席になった。申し分なく快適な移動手段。少ない水を融通しあうこともなければ、小銭を分け合うことなど考えもつかない。

ネルシャツ、鈍行電車の旅のあと、少しは幸せになれただろうか。

 

25.aug.2018

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