エリザベート王妃国際音楽コンクールの映画 The Chapel A Film by Dominique Deruddere

エリザベート王妃国際音楽コンクールの映画 The Chapel A Film by Dominique Deruddere

「世界三大コンクール」のひとつ、エリザベート王妃国際音楽コンクールは、1951年に創設された若い音楽家の登竜門として有名である。現在は、ピアノ、バイオリン、チェロ、声楽の分野で、30歳までの参加者が競い合う。2023年は声楽で5〜6月にコンクールが行われる。最終選考に残った12人は、チャペルと呼ばれる音楽堂に一週間こもり、未公開の新曲の譜面を渡されて本番に向けて練習に励む。

同コンクールを舞台にした映画『The Chapel』はフランダース映画界で有名なドミニク・ドゥリュドル監督の第10作目。ベルギーでは2月8日に劇場公開され絶賛上映中である。アメリカ(L.A.)とベルギーで二拠点生活を送る監督を、プレミア上映されたオステンドに訪ねてインタビュー。記事の後半には主演女優ターケ・ニコライの話も収録した。

Interview : Hiroyuki Yamamoto
Photographer : Jo Voets


外界から隔絶された屋敷の中に閉じ込められる。コンクールを舞台に暗い過去が蘇る物語。


映画の物語はどのように生まれましたか?

(ドゥリュドル監督)この物語は主役である若きピアノの天才、ジェニファーがエリザベート王妃国際音楽コンクールに参加するところからはじまります。彼女は最終選考の12人に残り、彼らはチャペルと呼ばれる音楽堂に隔離されるのです。

7日間そこで外界との接触を断たれて、電話、パソコン、テレビ、ラジオなども使えません。隔離と競争のストレスで、ジェニファーの暗い過去が蘇ってくるというのが、この映画のストーリーです。

これを最初に思いついたきっかけは、90年代にフランス人作家と仕事をしていたときにさかのぼります。

脚本を共同で制作していたのですが、仕事を終えてリラックスしようと、彼と一緒にテレビでエリザベート・コンクールを観たのです。

「いやはや、君たちベルギー人は頭がおかしいんじゃないか。屋敷の中に人を閉じ込めておいて、そこで新しい課題曲を研究させ、コンサートで演奏させる? なんてことだ。でも、映画の舞台にはぴったりだな」

彼の言葉には同意したものの、そのときの私には具体的なアイデアが浮かびませんでした。その後長い間、別の作品を手がける日々が続き、コンクールについては忘れていました。

2014年頃でしょうか、私の息子の一人がピアノをはじめました。それも、かなり真剣に。そのとき、物語の核となるものを見つけたのです。映画化につながる発想はそこで生まれ、私は脚本を書くことができました。

息子さんにピアノを頑張るように言ったのですか?

いやいや、私はそんなことをしませんよ。むしろ真逆でした。でも、もしピアノの練習を強要していたら、どうなっただろうとは考えました。
息子はピアノが大好きでした。でも、同時に彼が苦しんでいる姿も目にしたのです。完璧に演奏することができない。自分の音に満足できない。その苦闘の過程に、私は映画人として興味を持ったのです。

心のなかで密かに想像してみました。「もし、息子にもっと上手に弾けるように頑張れと言ったら、彼は私を嫌うだろうか?」

自分自身の記憶もあります。私は子供のときから映画監督になることを夢見ていました。もし親が反対したら、どうだったでしょうか? 実際には、 両親ともに「この子ったら、映画監督になるんですって。あはは」と真剣に取り合ってくれなかったのですが。

父は私がまだ17歳のときに亡くなってしまいました。でも、私が古い8ミリビデオで撮った作品を観て、喜んでくれていました。

とにかく、そうやって考えているうちに、物語全体がゆっくりと形作られていったのです。

監督のドミニク・ドゥリュドル氏 「息子がピアノと格闘しているのを見て、物語の核が生まれた」Dominique Deruddere

キャスティングについて

この映画には日本人の女優さんにも二人登場してもらいました。船矢祐美子さんと橋本唯香さん。ダンスが本職の二人だけれど、演技指導が不要なほど、完璧に演じてくれたのは、ありがたかったです。

アジア系の出演者を探すにあたっては、先輩にあたる池田扶美代さんにご尽力をいただきました。

主役のジェニファー役は、フランダース出身の20代の女優さんを探すところからはじめ、24、12、6、最後は3人と徐々に数を絞り込んでいきました。それこそコンクールみたいな選考ですね。

ターケは例外的な才能をもった女優でした。ピアノで協奏曲を弾くシーンでは、本当のピアニストのように動きながらキャラクターを演じ、様々な感情を瞳で表現してくれました。

もちろん脚本を書いた時点で私のなかでのジェニファー像はありましたが、出演者が目の前に現れるまでは表現が難しいものです。

特に、この映画には複雑な精神の持ち主が必要だったのだと思います。表面には見えない何か狂気のようなものを抱えている人間です。

ターケは普段は明るい子だけれど、黙って静かに観察し、考えている時間もあります。撮影現場に来てカメラの前に立つと、もうそこにはジェニファーがいる、そんな撮影でした。

 

完璧な音楽の世界が一瞬見えそうになるそのとき、心身が壊れることもある。


ラフマニノフ第二協奏曲をどうして選んだのですか?

作曲家ラフマニノフは、最初の協奏曲が不評で、スランプに陥っていました。何年も作曲ができず苦しんでいたところに、ある精神科医が現れて治療してくれ、回復した後に作ったのが第二協奏曲です。

しかし、私がこの曲を選んだ理由は、まず寒い地方出身の作曲家が必要だったところにあります。

これまでクラシック音楽はあまり聴いてこなかったのですが、ロシアの作曲家をいろいろ聴いてみました。

ラフマニノフの音楽は視覚的であるように私には感じられました。そして第二協奏曲が特に、物語で伝えたかったイメージに近かったのです。

とても感情的で、深いところでなにか渇望とでも呼べるようなものがあります。ラフマニノフの心のなかに、何か失われたものがあるような感覚を抱きました。

映画のなかでピアノを演奏するジェニファーも、失われたものに手を伸ばすのだけれど、どうしても届かない、音楽がそのような感情を呼び起こすのです。

ジェニファーは人と関わるのが苦手ですね。

彼女はとても内向的な人物です。子供のときのトラウマが原因で、今でも問題を抱えているからです。他人とコミュニケーションをとりたくない理由は、彼女が過去に暗い秘密をもっているからで、他人に心のなかを覗かれるのを拒否します。

他のコンクール参加者たちも似たようなところがありますね。音楽を通じてしか自己表現できない人々だし、ジェニファーにとってもラフマニノフの協奏曲を弾くことだけが、カタルシスを得て、自己を解放できる手段なのです。

音楽は癒やしの力をもっていると私は信じています。事故などで意識不明状態に陥った人が、音楽に対してだけ反応を示すことがあります。

言語や視覚的なものより、音楽は伝える力が強いのだと思います。



過干渉の母親と破滅型の父親が重要な役どころです。

本当に毒性のある結びつきですよね。そもそもライフスタイルが違う二人であるし、結婚生活は明らかにうまく行っていない。娘の教育についても意見が乖離している。
母は娘にピアニストとして成功して欲しい。父のほうは飲んだくれではあるけれど、自分の娘の幸せを願い、普通の人生を送ってもらいたい。どうしてストレスを抱えてまで成功しないといけないのか。

すぐれたピアニストになるためには多くのことを犠牲にしなければなりません。3歳から特訓をはじめて、他の子供たちが外で楽しく遊んでいるのにピアノの練習ばかり。
母も世界中のなによりも娘を愛しています。しかし、彼女はとても野心家なのです。

下調べでピアニストのインタビュー記事や自伝を数多く読んだなかに、「母は私自身ではなく、私のピアノ演奏を愛している」という一節がありました。母親像のインスピレーションはそこにあります。

我が子の特別な才能を、世の中に伝えなければいけないという義務感のようなものも親は感じるようです。

ジェニファーの母は画家ですが、自分の才能に限界を感じている。娘には自分がなし得なかった成功を実現して欲しいと願うのです。

神童に生まれたことは不幸かもしれない?

才能というものに、私は非常に興味を持っています。それは神の祝福なのか、呪いのようなものなのか、そこが問題ですよね。

マイケル・ジャクソン、エルビス・プレスリー、ヴァン・ゴッホなど、すぐれた音楽家、画家など、自分自身の才能によって破滅する人がいるのは不思議なことです。それだけ危険なものなのに、ついつい人は才能を求めてしまうのです。

では、才能のある子供をもった親たちはというと、我が子を大スターにしたいと望みます。例えば当地オステンドでもサッカーのグラウンドに行ってみると分かります。小さな子供たちが試合をしているのを、両親が必死になって応援していますよね。

楽しんでいるうちはいいけれど、限界を超えてまで頑張れと命令するのは、もはや健全とは言えません。しかし、その風景は私にとって興味をかきたてられるものなのです。



プレッシャーの良し悪し

綱渡りをするようなバランス感覚が求められますね。上達のためには、一生懸命頑張って、自分を限界まで追い込まなければならないこともあります。
最後にジェニファーが協奏曲を弾くところは、まさに母親からのプレッシャーや過去のトラウマなど、すべてが融合した結果です。

このシーンは、映画の準備中に見つけたエリザベート・コンクールのドキュメンタリーが参考になりました。

最終選考の際に、あるバイオリン奏者が発狂とまでは言わないにしても、精神の異常を見せてしまう。

他の音楽家の証言によると、彼は限りなく完璧な演奏に近づいていって、完全な世界が一瞬見えそうになったとき心身が壊れてしまったというのです。

ジェニファーのような優秀な音楽家は、我々凡人には到達できない境地に足を踏み入れることがあります。

音楽に完全に没頭し、完璧な音を奏でるとき、だれかが手助けしてくれている感じがするといいます。

それが神なのか、何なのかは分かりません。こうした映画のセリフは、トップレベルの音楽家たちが実際に口にした言葉をそのまま使っています。

結末はどのように解釈したらいいですか?

基本的に、映画は観客のものだと私は考えています。解釈や物語の続きを想像するのは、観客の自由だし、彼らが求めているもの、必要としているものを映画から受け取ってもらえたら、それでいいのです。

もちろん作り手として、伝えたいメッセージはありますが、観た人が別の視点をもつことはよくあるし、それぞれの違った解釈でいいと思います。この映画は嫌いだとかいうのでなければね。(笑)

たしかに今回のエンディングは余白があって、物語の続きを観客の想像力にゆだねるかたちになっています。親子の関係はどうなるのか、そこは映画を見終わった後に、皆さんの感想を話し合ってもらえたら嬉しいです。  

(ここまで監督インタビュー)

言葉にできないものを、芸術というかたちで表現できるのは素晴らしいこと。Taeke Nicolaï

 

子供の頃から演技に興味がありましたか?

(主演ターケ・ニコライ)私はとても内気な子供でしたが、お家で何か役を演じて遊ぶのが好きでした。

あるとき舞台に出る機会があり、それが私の自己表現の方法になりました。演技とは心を開放して自分らしくなれるものなのです。

そんな私を両親はよく劇場に連れて行ってくれました。舞台にはいつも魔法のような魅力を感じていました。

だから映画でも、少し舞台っぽい雰囲気のものが好きですね。はっきりしたメッセージがあって、心に響くものが好みです。

だから脚本を最初に読んだときも、素敵な物語だと思いました。そこにはヨーロッパの映画らしい精神の繊細さがありました。

The Chapelの主役はどう決まったのですか?

私はピアノを弾けないので、トップピアニストの役は無理だろうなとあきらめかけたのですが、「何も失うものはないじゃないか」と考え直してオーディションに応募しました。

選考を通過するたびに、「まさか!私がまだ残っている」と自分自身が一番驚きました。他の女優さんは、とても上手な人たちばかりですから。

3、4ヵ月間、朝から晩まで毎日ピアニストの動きを勉強して、心理を深く掘り下げました。

ラフマニノフの協奏曲二番が私を助けてくれたと思います。暗いトーンのなかに、たくさんの感情が込められ、常に何かが起こっている曲なので、そこから生まれる感情の流れに合わせて演技することにしたのです。

ジェニファーについて

何かを追い求めているけれども、バランスを失っている人物です。とても臆病で安定を求めているのに、自分の感情をコントロールできない。

だから彼女が言葉で語ることは少ないのですが、かわりにピアノと音楽がコミュニケーションや自己表現の方法になっています。ラフマニノフの曲を演奏するときだけ、ジェニファーは解放されるのです。生きていくなかで言葉にできないものを、芸術によって別のかたちで表現できるのは素晴らしいことです。


劇中の両親について印象を聞かせてください。

父のセリフが多くのことを説明していると感じました。「怖がっている人々は、生き方を忘れてしまっている」というものです。父は娘に幸せに生きて欲しいのです。トラック・ドライバーとして道路を走っている父は自由で人生を謳歌しています。感情の表現が上手とは言えませんが、その行動は愛から来るものです。

一方の母も愛情のある人ですが、自分の願望を娘に押し付けているところがあります。

コンクール最終予選に参加して、母と離れることになり、ジェニファーは初めて自分の人生をどうしたいのか考えることができました。

もちろん、親子の軋轢はあるものの、お互いが愛でつながっているという意識は演じながら大切にしていました。

日本人観客にメッセージを

エリザベート・コンクールという国際的な舞台がテーマですので、参加者の多い日本の皆さんもお楽しみいただけることでしょう。
ジェニファーという人物についてどのようにご覧になるか、そして映画にどのような感想をお持ちになるか興味があります。ぜひ映画館でお楽しみいただければと思います。


Editor's Note
海辺の街オステンドは、フランスのカンヌ映画祭のようにFilmfestival Oostendeという華やかな映画祭が毎年開かれる。『The Chapel』は、このフランダース映画界の一大イベントでプレミア公開された。

ドゥリュドル監督は本作が10本目となるベテランだが、ここ15年ほどアメリカ西海岸ロサンゼルスに暮らし、現在は彼地とオステンドで二拠点生活を送っている。青い鳥のインタビューも、オステンドの海に近い広場に面した、長い歴史を感じるカフェで行われた。

監督は非常に人懐っこい性格で話しやすい。そして、キラキラした瞳に芸術家としての霊感が宿っているのが、はっきり見て取れる。映画を作る人というのは、また独特のオーラがあるものだと非常に興味深かった。

その監督が才能をほれこんだ主演女優のターケ・ニコライも、瞳がダイヤモンドのように光り輝くのが印象的な女性で、今後の活躍が期待される。制作中の連続ミステリー・ドラマ『Alter Ego』に出演するので要チェック。

ところで今年は作曲家ラフマニノフの生誕150周年である。ブリュッセルのBozarで『The Chapel』の上映会が行われた週は、なんと映画の主題曲になっていたピアノ協奏曲第二番も同会場の大ホールで演奏されるという奇跡のような偶然があった。

さらに偶然なことに、本物のエリザベート・コンクールで3位入賞したピアニスト務川慧悟氏が最近ブリュッセルでコンサートを開催。演奏後にお会いして話を伺ったところ、チャペルでの滞在は非常に快適だったとのこと。

ちなみに、映画で使われたコンサート・ホールはコンクールの舞台である本物のBozarだが、宿泊施設の建物は実際のものではなく、似たような感じの別のシャトーである。

この記事に使用した写真は、すべて写真家Jo Voets氏による。映画のスチール写真を長年撮り続けてきたベテランさんで、彼のサイトではフランダース映画の撮影現場やポスターを見ることができる。名作の数々にベルギー映画の通は感動のあまり涙することだろう。

The Chapel official trailer

ベルギー映画/97分
UGC、Kinepolis系列、Le Stockel Cinémaなど絶賛公開中

Jo Voets (photographer)
website - https://www.jovoets-photography.com/
Instagram @jovoets