Vondelmolen ヴォンデルモーレン : ネロ少年が夢見たフランダースの郷土菓子ソフト・ジンジャーブレッド

Vondelmolen ヴォンデルモーレン : ネロ少年が夢見たフランダースの郷土菓子ソフト・ジンジャーブレッド

ヴォンデルモーレンの製品は世界的には英語でソフト・ジンジャーブレッド(soft gingerbread)、日本では生姜パンやハニー・ケーキなどとも呼ばれるフランダースが生み出した伝統の郷土食品。

今回、青い鳥はベルギーに唯一残るソフト・ジンジャーブレッド工場を訪れ、新任の社長ラファエル・デ・ヘント氏(Rafael De Gendt)と工場長のアラン・バーホーベン氏(Alain Verhoeven)にお会いした。 日本とフランダースとの意外なつながり、そして門外不出のレシピの秘密に迫る。

【社長ラファエル・デ・ヘント氏(Rafael De Gendt)】

会社紹介をお願いします。

ソフト・ジンジャーブレッドはベルギーのフランダース地方の郷土菓子です。伝統的に朝食として愛されてきましたが、最近では小腹が空いたときのおやつ、または散歩やサイクリング中の栄養補給としても活躍しています。家族や友人の家を訪問するときの贈り物としても人気があります。プレゼントするならハートの形のものが素敵です。
1867年創業の弊社ヴォンデルモーレン(Vondelmolen)は、家族経営のソフト・ジンジャーブレッド工場として157年以上も続いてきた歴史を誇り、現オーナーのヤン・ボルムス(Jan Borms)は5代目にあたります。
創業の地は、今まさに私たちがいるこの場所です。レビーケ(Lebbeke)という静かな村にあり、古い風車に馬一頭と荷車という、本当に小さな商売からはじまりました。
起業家精神に満ちたボルムス家の努力の結果、現在のヴォンデルモーレン社は年間約700万キロのソフト・ジンジャーブレッドを生産し、ベルギーでトップ、ヨーロッパでも3本の指に入るメーカーに成長しました。工場では1万平方メートルの敷地面積で常に90人の従業員が働いています。

工場の中心には、ヴォンデルモーレンの起源である風車のあった場所の床に赤い丸が記されている。


日本にも輸出していますか?

商品の半分以上は外国に輸出されており、フランスなど隣国はもちろん、遠く離れた日本やカナダなどでも愛されています。
最近、日本とソフト・ジンジャーブレッドの意外なつながりを発見したので、ぜひご紹介したいと思います。
実は私はこの会社の社長職に6ヵ月前に就いたばかりなのですが、ソフト・ジンジャーブレッドについてもっと知ろうと図書館で本を探していた際に、真っ赤な風車と少年が表紙に描かれた本を見つけました。タイトルは『フランダースの犬』(A Dog of Flanders)。日本でもこれを原作としたアニメーション作品が大ヒットしたので、皆様もよくご存知でしょう。
舞台は1870年半ばのフランダース地方、主人公は少年ネロと彼の忠犬パトラッシュで、彼らの困難に満ちた厳しい生活と、時折訪れるささやかな楽しみについて語られています。
物語の途中で、少年ネロがフランダース地方の「アーモンド・ジンジャーブレッド」を食べたいと夢見るシーンがあり、私は自分の目を疑いました。
弊社は物語より前に創業しています。ここに登場するソフト・ジンジャーブレッドは、ヴォンデルモーレン社のものだったかもしれません。少なくとも村の子供たちがソフト・ジンジャーブレッドを手にして歌ったり笑ったりしている場面は、伝統的なお菓子を作る私たちにとって感慨深いものです。
ネロ少年はとても貧乏だったので、常に食べるものに苦労していました。そのため時々、本当に少し余分なお金があったときだけ自分や祖父にご褒美を与えることができたのでしょう。
ただ空腹を満たすだけではなく、試練に満ちた時代を生きる子供たちに慰めをもたらし、温かい気持ちにさせ、幸せな想い出を呼び戻してくれた特別なお菓子なのです。

...all the children of the village sang and laughed, and ate the big round cakes of Dijon and the almond gingerbread of Brabant...

“A Dog of Flanders” by Louisa De La Ramê (Ouida)


1872年に書かれた本が、一体どうやって日本人によって再発見されたのか想像すらできませんが、19世紀当時のフランダースの物語に魅了されたのでしょう。ネロ少年が犬と一緒に荷車をひいて仕事をし、現実の厳しさに直面している姿に日本の皆様が感動したのは不思議なご縁です。
そして、ネロ少年と同時代の子供たちが食べたソフト・ジンジャーブレッドの伝統を、私たちが今もなお大切に受け継いでいることに誇りを感じています。

ソフト・ジンジャーブレッドは昔は大きなレンガのような塊だったと聞きました。

たしかに20、30年前までは2キロ、5キロなど大きめな商品がありました。現在は500グラムが基本です。
かつては、村に一軒あるパン屋にブリキの箱を持って行き「ソフト・ジンジャーブレッドを入れてください」と言うと、パン屋が塊を切り取って箱に詰めてくれる風習がありました。
家庭で食事ごとに取り出してスライスにして食べるのですが、甘いものが大好きな子供たちが手を出して、すぐになくなってしまうことがないように、家ではだいたいお母さんかおばあちゃんが箱を抱えて必死に守っていたものです。

創業家ピーテル・ヤン・ボルムス家、再建した風車の塔、昔の従業員と工場の様子。

現在のオーナーであるヤン・ボルムス氏と愛犬のユカ君。そして、会社がスポンサーとして支援している医療船のマーシー・シップス


このお菓子の歴史を教えていただけますか?

起源をたどると約4000年前のエジプトまでさかのぼります。エジプト人は穀物、ハチミツ、スパイスを使ったケーキを作っていました。その後、ギリシア人もハチミツをベースにしたパンを焼いたと古い文献が残っています。古代ギリシア人は戦争の際、兵士たちにこのパンを食べさせていました。栄養価が高いのに加えて、日持ちがするからでした。
それからローマ帝国が世界を征服する過程で、このパンが様々な地方に広がり、さらに地方によるバリエーションも生まれてきます。ローマ文明がキリスト教も布教させていくなかで、主に修道院がレシピを伝える機能を果たしていきます。
中世の欧州では香辛料が貴重で高価だったので、裕福な王族貴族だけがこれを食べることを許されていました。14世紀にフランダース伯爵の娘マルグリットがフランス・ブルゴーニュ公国のフィリップ豪胆公と結婚する際、祝宴にソフト・ジンジャーブレッドが出されたと伝えられています。
当時の人々はコショウには特別な力が宿っており、悪霊を追い払うことができると信じていました。オランダ語の名前にある「ペーペル」はコショウを、「クーク」はケーキを意味します。(英語だとpepper cake)つまり材料の香辛料が名前の由来なのです。


会社はどのように歩んでこられたのですか?

最初は、田舎によくある風車とパン工房でした。創業者のピーテル・ヤン・ボルムス(Pieter-Jan Borms)には10人も子供がいて、自分自身の子供たちに食べさせるためだけでもパンをたくさん焼かなければならなかったでしょうね。彼はパンやビスケットなど多くの種類を作っていましたが、しばらくしてソフト・ジンジャーブレッドをはじめると、美味しいという評判が周囲の村にも広がっていきました。
他の村のパン屋がアドバイスを求めてくると、ピーテル・ヤンは親切に教えてあげるのですが、しばらくすると同業者たちから「やってみたけれど難しいから、君が作って僕らに売ってくれないか?」と依頼を受けるようになりました。それが今日まで続く会社の起源と言えます。
創業者の子供たちのうち、ヨーゼフ(Jozef)とシャルル・ルイ(Charles-Louis)が家業を引き継ぎました。
当時は村ごとにビール醸造所、風車、パン屋がありましたが、ソフト・ジンジャーブレッドに関しては市場の急激な変化と大きな投資が必要であることから廃業が相次いでいました。しかしボルムス家はやめてしまう工場を買い取りながら、事業を継続発展させていったのです。

古いロゴは風車と鳥の組み合わせだった。アーカイブには買収した工場のラベルやポスターも残されている。


長い歴史には苦難の時期もあったのでは?

第一次世界大戦のときにドイツ軍が侵攻してきて、最初にあった木製の風車を含めて工場は完全に破壊されてしまいました。その後、ボルムス家は工場を再建して新しい風車を作ったのですが、ある時点で稼働しなくなったので撤去することになりました。しかし、過去の記憶を残すために、風車があった場所の床は赤い丸に塗られており、今でも工場の精神的な中心となっています。
戦争の時代にはガブリエル・ヴィンケ(Gabrielle Vincke)の存在も大きいものです。彼女はヨーゼフの息子ルイ(Louis)と結婚したのですが夫が二次世界大戦中に若くして亡くなったので事業を引き継ぎます。戦争の被害を受けた工場を再建し、職人の技術を保ちながら生産能力を増大させたのは彼女の功績です。1950年代半ばのベルギーでは、女性のリーダーが会社を運営するというのは前例のないことでした。
ガブリエルの息子のヨーゼフ(Joz.)は、第二次世界大戦後に国内に残った140のソフト・ジンジャーブレッド工場の大半を買収しました。
そして、ヤンが5代目として会社を国際的に発展させたいと最初に考えた人物です。彼のリーダーシップのもとで、ヴォンデルモーレンは世界70ヵ国に輸出を開始したのです。
激動の時代をくぐり抜けてベルギーで生き残ったのは唯一ヴォンデルモーレンだけです。これだけ長続きした成功の秘訣は、創業者ピーテル・ヤンのレシピの秘密にあります。

工場内の様子。

どのようなレシピですか?

主な材料はライ麦粉、砂糖、ハチミツ、生姜、スパイスです。極めてシンプルな材料と言えます。
脂質となるものがほぼ入っていないので健康的ですし、水も加えないのでカビが生えることもなく、ほぼ永遠に保存できます。できれば密閉された缶に入れて、室温で乾燥した場所に保管する必要はありますが。
小麦ではなくてライ麦が使われているのは、独特の風味が素晴らしいのと、健康面のでメリットもあるからです。アレルギー反応を示す人が少ないのに加えて、糖分の消化吸収を抑制するので血糖値上昇を抑えることと、繊維質も多いため消化も促進されます。小麦のビスケットなどに比べると2、3倍の繊維質があります。
弊社の商品には着色料も保存料も含まれませんし、遺伝子組み換えの原材料も使われていません。
創業時から続く特別なレシピと製法については工場長アラン・バーホーベン(Alain Verhoeven)がご説明いたします。

ソフト・ジンジャーブレッドと静かに対話するアラン・バーホーベン工場長。切れ端はしばらく寝かせてから再利用されるという。

【工場長のアラン・バーホーベン氏(Alain Verhoeven)】

レシピのどの部分が特別なのでしょうか?

焼き上がったソフト・ジンジャーブレッドは、袋詰めされる前に端を切り落として形を整えます。しかし、その切れ端は捨てられることはありません。大切に保管され、また新しい製品を作る際に原料の一つとして加えられるという製法が大きな特徴です。
切れ端といって軽視してはいけません。弊社の製品の特徴を伝えるもので、アイデンティティーと呼んでもいいいでしょう。切れ端は味、柔らかさ、焼き上げたときの膨らみを再現する重要な役割を果たします。これこそが昔から引き継がれてきた「遺産」なのです。
私は切れ端のことを「眠れる森の美女」と呼んでいます。驚かれると思いますが、数日から1年間ほど棚で眠った後に使われるからです。
眠っている間に切れ端はゆっくりと熟成していきます。湿度と乾燥のバランス、スパイスの影響を受けて、味が進化するのです。もし、切れ端を使わないとしたら、もっと固くて味気のないものができてしまうでしょう。

工場は皆さんが楽しそうに働いていますね。

それはとても重要なことです。眠れる森の美女たちがストレスを感じると、いい製品が作れません。晴れの日、雨が降る日、微妙な気温や湿度の差によって眠れる森の美女は目覚めたり、また眠りに落ちたりします。
働く人間も幸せを感じながら彼女たちに思いを寄せなければいけません。情熱と規律をもって仕事を続けることができれば、ソフト・ジンジャーブレッドのほうから我々に寄り添って美味しくなってくれるでしょう。

この伝統を守りたいという思いの原動力は?

まず切れ端を再利用するので無駄が出にくい。さらにお店の棚に並んだ商品も日持ちするので廃棄をおさえられる。こうしたことは持続可能性に寄与します。
また、現代人は非常に複雑なライフスタイルで暮らしていると思います。過剰に生産し、過剰に消費する世界に住んでいます。人間のどん欲さによって、道に迷ってしまったのです。
昔の子供たちは朝晩、一日二回、ソフト・ジンジャーブレッドを一切れ食べるだけの食生活でした。生きていくために必要なエネルギーと栄養がすべてそこにあったからです。今の私たちも、そうした食のシンプルさを取り戻す必要があるのではないでしょうか。
ソフト・ジンジャーブレッドは何世紀にも渡って存在してきました。製品自体は決して変わりませんが、これから将来、昔ながらの製法や精神が、新しい価値観として再発見されるよう期待しています。

「眠れる森の美女を起こさないように、静かに・・・」


【社長ラファエル・デ・ヘント氏(Rafael De Gendt)】

会社の使命は何でしょうか?

私にとって答えは二つあります。まず、企業文化に根付いた暗黙のミッションは、職人技の製法を守りながら世界最高のソフト・ジンジャーブレッド製造会社になりたいということです。我々は家族として築き上げた会社に誇りを持っています。そして今も作り続けている製品に愛情があるのです。経済的な成長のために歴史や作り方を犠牲にすることは決してありません。
もう一つの使命は、世界をより良くしていくということです。この製品の力強さに感銘を受けて行き着いた考えです。
我々のソフト・ジンジャーブレッドはときに貧困や紛争で支援が必要な世界に送られることがあります。栄養価が高く保存も容易なので飢餓で苦しんでいる人々を救う強い力になれるのです。世界をより良くすることで、私たちは重要な役割を果たすことができると信じています。
声高に宣伝していませんが、ヴォンデルモーレンは人道支援の取り組みのスポンサーもしています。マーシー・シップス(Mercy Ships)はその一つで、古いクルーズ船を病院に改造し、十分な医療システムがない地域で医療を提供しています。世界中から無償で働く医師が集まり、例えばアフリカで発達障害で苦しんでいる子供たちの手術をするのです。
誇りをもって作っている製品と、私たちの価値観の組み合わせが、会社の使命を形作っていると私は考えています。

日本人の読者にメッセージをお願いします。

日本とベルギー両国の友好関係は非常に素晴らしいものです。我々の交流には長い歴史があり、『フランダースの犬』も日本の皆様には親しみがある物語でしょう。
ところで、この物語に登場するのは「アーモンド風味のジンジャー・ブレッド」でした。私が本を読んだあとすぐに商品開発チームに弊社に保管されている古いレシピの記録を調べるよう頼むと、オリジナルのレシピが見つかりました。
これを復活させて『フランダースの犬』を愛する日本の皆様に、ネロ少年の時代に食べられたのと同じソフト・ジンジャーブレッドをお届けしたいと企画しています。
2025年の大阪万博にヴォンデルモーレンも出展します。その際にはぜひ多くの皆様にベルギー・パビリオンにお越しいただき、「ペーペルクーク」私たちのフランダース産ソフト・ジンジャーブレッドを味わっていただければ大変嬉しく思います。

 

Vondelmolen

Factory Address
Dendermondsesteenweg 208, 9280 Lebbeke

Website & Email
https://www.vondelmolen.be

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