Q. あなたとご両親のご出身は?
私も家族もペルシャ人です。私たちは7,000年以上の文明を持つ国、イランのシラーズで生まれました。
私の故郷であるシラーズはイラン南部に位置し、芸術、詩、ホスピタリティの街として有名です。たくさんの偉大なペルシャの詩人や哲学者はシラーズ出身です。シラーズの人々は、手厚いおもてなしとゆったりとした生活スタイルでも知られています。
イランの他の都市では生活が慌ただしいこともありますが、シラーズの人々は小さなことを楽しむのに焦点を当て、芸術や詩に対する自然な愛情を持っています。この精神は、私達家族の生活の重要な部分です。
イランには四季があり、シラーズの春は本当に美しいです。この時期、通りはオレンジの花の甘い匂いが満ち、街全体が素晴らしい香りに包まれます。
春はイラン人にとってとても大切な季節です。春の初日である 3 月 21 日に祝われるペルシャの新年だからです。
私たちはペルシャの新年を「ノウルーズ」と呼んでいます。これは「新しい日」という意味で、新しい人生の始まりも意味します。このお祝いは 13 日間続きます。
大事な伝統である「ハフツィンテーブル」を準備します。このテーブルには、ペルシャ語の文字「S」で始まり、人生のさまざまな価値を象徴する 7 つのアイテムが含まれています。

• Sabzeh(発芽小麦またはレンズ豆の芽など)は再生を表します。
• Samanu(甘いプリン)は強さを表します。
• Senjed(乾燥したオリーブの実)は愛を表します。
• Seer(ニンニク)は健康を表します。
• Seeb(リンゴ)は美しさを表します。
• Somāq(ウルシの実)は忍耐を表します。
• Serkeh(酢)は年齢と知恵を表します。
ノウルーズの13日目には、屋外で過ごすことで「自然の日」とも呼ばれるシズデ・ベダルを祝います。家族でピクニックに出かけて自然を楽しみます。自然は幸運をもたらし、新年を前向きに迎えられるとされています。
Q. イランの状況とベルギーに来た背景をよければ説明していただけますか。
イランはかつて王政でした。1979年の革命により、国は王政からイスラム共和国へと変わり、日常生活に大きな影響を及ぼしました。革命後、女性のヒジャブの着用義務や生活の多くの面での制限など、厳しい法律に直面しました。
この体制下での生活は、特に女性にとって困難でした。しかし、多くのイラン人女性は大学に入学し、教育を受けることで反撃しています。今日、女性の卒業率は男性よりも高くなっています(60%)。イランの人口の約70%が30歳未満であるため、これらの女性は困難にもかかわらず自由と平等を推し進め、大きな力となっています。
私は現代の進歩的な家庭に生まれました。イラン・イラク戦争の最中に生まれ、戦争が終わったとき私はまだ2歳でしたが、今でもその一部は覚えています。
戦争中、父は特別なやり方で私と弟を励ましました。地下室だった避難所の壁に世界地図を貼り、カラフルなピンを使って「世界一周」というゲームを作り、私たちはさまざまな目的地への旅を想像しました。父は私たちのお気に入りの漫画の舞台となった場所を教えてくれ、想像力を刺激しました。
これは戦争の厳しい現実から私たちを救い、イマジネーションを使ってそのつらい時代を乗り切るための父のやり方でした。
私はいつも父を最高の先生だと思っています。イランにいた頃、父は昼間は熱心なビジネスマンで、余暇には詩人になりました。父は英語、歴史、哲学、詩を教え、学校の他の子供たちとは違う視点を与えてくれました。
父のおかげで、私は世界に対する深い好奇心と学ぶことへの感謝の気持ちを持って育ちました。父はまた、自由に考え、理解できないことに疑問を持つように育ててくれました。
しかし、イラン政権下の進歩的な家庭で育つことは容易ではありませんでした。イランの学校では、成績優秀な生徒にもかかわらず、率直な質問や意見を述べたために退学になることがよくありました。
宗教の教義に疑問を呈することは無礼とみなされ、罰を受けることもありました。私は学校が本当に嫌いでした。私は家にいたいと思い、ホームスクールを好みましたが、これではイランでの私たちの将来がなくなってしまう恐れがありました。
自由は制限されており、両親は私たちが成長するにつれて、私たちのオープンさが社会的に困難や危険につながるのではないかと心配していました。宗教と検閲が政治と密接に結びついており、特に自分の意見を言う人にとっては人生が危険になる可能性がありました。
イランでは私たちが本当の自分らしくいられないと悟った両親は、私をヨーロッパの寄宿学校に送るという苦渋の選択をしました。しかし、予期せぬ政治的出来事により、両親も最終的にヨーロッパに移住して新しい生活を始めることにしました。
振り返ってみると、両親は私たちに平和と自由の中で成長する機会を与えるために家や財産、コミュニティを捨てたわけで、いかに勇敢で無私無欲だったか改めてわかります。
Q. ベルギーに着いてからの生活は?
24年前にベルギーに着いたとき、今のような移民統合システムはありませんでした。そのため、私たちは新しいホスト国について自分たちで物事を理解する必要がありました。
父は私たちに、教育を真剣に捉えるように言い続けました。私たちは自由な国にいるのだから、学校で良い成績を取ることが成功する一番の方法だと信じていました。
私たちが最初にしたのは、言語を学ぶことでした。私はすぐにフラマン語の学校で勉強することになりました。毎日はかなり忙しく、昼間は学校、夜は3時間の語学クラスでした。わずか11か月で、私たちは全員フランス語とフラマン語の両方を習得しました。
移民になるのは簡単ではありませんでした。それは「新しく始める」というロマンチックなものではなく、途方もない忍耐力を必要とするプロセスでした。私たちはすぐに大人びて、イランで過ごした時間以外には子供時代の思い出がほとんど残っていません。
ベルギーで政治難民になるため、新しいアイデンティティを築かなければなりませんでした。長年経った今でも、私は自分をイラン人やベルギー人と認識していません。代わりに、特定の場所や国籍に縛られないグローバル市民のように感じています。1つの国ではなく世界に属しているというこの感覚は、第一世代の移民の多くが共感するものだと信じています。
2000年にベルギーに到着したとき、すぐにベルギー社会に溶け込んだのは、学びと探求を生きがいとする人間だったからでしょうか。私はベルギーの人々、彼らの文化、そして彼らの国の歴史に興味がありました。このプロセスで、両親は、私たちがすぐに溶け込み、現地の言語を習得できるようにするため、ベルギーのイラン人コミュニティから私たちを遠ざけることにしました。
イラン人コミュニティから離れることは、最初は大変でした。兄と妹は快適な環境を離れ、ペルシャ語以外の言語で友情を築き、コミュニケーションを取ることを余儀なくされました。同時に、両親は私たちがペルシャ人としての自分を見失わないように気を配りました。両親は私たちのルーツ、歴史、伝統に対する理解を育み、我が家を文化とアイデンティティの聖域にすることにしました。


Q. お仕事は?
私はフラマン語の勉強を終え、ホテル経営の学士号を取得し、その後アントワープ大学で異文化コミュニケーションの大学院の学位を取得しました。
しかし、キャリアでは別の道を歩み、機械とロボットシステムに重点を置いた産業オートメーション部門のセールスエンジニアになりました。非常に男性的な環境で、女性1人で働くのは大変な仕事です。でも問題なくその試みを楽しんでいます。
仕事では何度かHMI 画面やプログラミングを手伝ってくれた大阪の技術系同僚と密に協力する機会がありました。献身的で明確で信頼できる回答を提供してくれる点では、日本の同僚は飛び抜けて信頼できる人たちでした。彼らと一緒に仕事をするのは本当に楽しかったです。私はずっと日本とその文化に魅了されてきたので、2023 年 11 月に日本を訪れて、生活環境が自分のライフスタイルに合うかどうか確かめることにしました。そして、実際に合いました!
今の私の目標の 1 つは、日本語を学び、最終的には日本に移住することです。現在、新しいキャリアを模索しているので、次のステップを決める頃には、日本語が流暢になっていることを願っています。
移民の挑戦はやりがいのあるものでした。私たちは貢献を強く信じているので、私たちが住んでいるコミュニティに恩返しするために一生懸命働いてきました。
今はベルギーで 24 年間過ごし、ベルギーが提供するものをかなり探求したと感じています。今は、新しい環境での生活を経験し、さまざまな文化に浸りたいと思っています。
Q. ご趣味は?
私はレースカー、レーストラックに行くこと、F1グランプリを観戦すること、そしてルシファーと名付けたホンダCBR650バイクに乗ることが大好きです。太陽が出ているときは、ルシファーに乗ってディナンをドライブします。
バイクに乗るのが好きなのは、イランでは女性はバイクに乗ることが許されていないからというのもあります。イランに住んでいたらイラン人女性として直面していたであろう制限に対する私の反抗方法でもあります。
好きな車のブランドはホンダと日産GTRです。
また伝統的なダンス、特にペルシャの民族舞踊が好きです。
もう一つの大きな情熱は、旅行してさまざまな文化や言語を学ぶことです。2007年から56か国を旅し、母国語であるペルシャ語を含む5か国語を流暢に話します。新しい言語を学ぶことは、自分の周りの世界をよりよく理解するのに役立つと信じています。外向的な性格なので、特に一度も訪れたことがない場所やあまり知らない場所の人との交流を楽しんでいます。
Q. 好きな料理は?
料理も私の趣味の 1 つです。旅行するときはいつも、地元の人と一緒に過ごして、彼らの料理や文化について学びます。タイカレーを一から作るのが得意です。また、スパイスで遊ぶのが好きなので、インド料理も大好きです。
ペルシャ料理もずっと大好きです。その豊かな風味と、何時間もかける丁寧な調理法は貴重で、時には1 つの料理を 3 時間かけて作ることもあります。
メイン料理やベースには必ず米が使われます。私たちはこれを Poloと呼んでいますが、通常は古米で作ります。古米を使うと、米がふっくらして粘りが少なくなります。こうすることで、米がサフランやその他の材料の風味を吸収し、粒がばらばらになりません。
私たちはいつも米を炊いてから蒸すます。蒸し始めるを把握するのは大事で、そうしないと米がどろどろになってしまいます。
私のお気に入りのペルシャ料理の 1 つは「フェセンジュン」で、鶏肉、砕いたクルミ、ザクロシロップで作るおいしいシチューです。
2番目に好きな料理は、「ゼレシュク・ポロ・バ・モルグ (鶏肉入りバーベリーライス) 」です。ふわふわのサフランライスに甘くしたバーベリーを混ぜ、柔らかい鶏肉を添えて作ります。バーベリーの甘酸っぱい味が風味豊かなチキンとよく合うので、毎日でも食べられる一品です。
サフランはペルシャの家庭になくてはならないものです。お茶、ご飯(ポロ)、シチュー、ケバブなど、さまざまな方法で使います。
ペストリーやアイスクリームにもサフランを入れますし、ビールにも加えることがあります!サフランビールを飲んだことはありますか? ベルギーにもおいしいのが飲める場所がありますよ。
Royal Ispahan Restaurant
Av. De Fré 190, 1180 Uccle
ここでドリンクの「Cyrus Saffran Beer(サフランビール)」を試してみてください。
料理は「Kashk-e-Bademjan カシュクとナス」をぜひ食べてください。
蒸したナスに、カシュク (発酵乳清)、ニンニク、タマネギ、さまざまなスパイスを混ぜた料理です。濃厚でクリーミーな食感で、温かい前菜としてよく出されます。
「Mirza Ghasemi ミールザーガーセミー」もお勧めです。焼きナス、トマト、ニンニク、卵を使った風味豊かなペルシャ料理です。
この 2 つは、温かい焼きたてのパンとよく合います。ペルシャの前菜のほとんどはベジタリアン向けですし、軽くておいしいです。
サイドディッシュは、「Mast-o Khiarマスト・キアール(ヨーグルトとキュウリ)」と「マスト・ムーシル(イランでしか見られない独特の乾燥ニンニク入りヨーグルト)」がおすすめです。

メインディッシュはペルシャケバブをどうぞ。私の定番メニューの 1 つはシラーズ・ケバブです。柔らかいチキンの串刺し(ジュジェ・ケバブ)を 24 時間以上サフランとレモンジュースに漬け込んだもので、口の中でとろけるクービデ(ミンチケバブ)が添えられています。
デザートは「ファルーデ(ペルシャライムとローズウォーターのグラニタとくずぎり)」を。ファルーデは私の街シラーズの伝統的なお菓子で、デンプンでできた薄くて半透明の麺で作られています。
「バスタニ」は伝統的なペルシャアイスクリームです。牛乳、クリーム、砂糖、ピスタチオがベースで、サフランとローズウォーターが入っていることが多いです。
Q. 普段は何をよく食べますか?
バラエティのある食事が好きです。大好きなペルシャ料理も毎日は食べません。ペルシャ料理は調理に3時間もかかるため、忙しい平日のルーチンに組み込むのは難しいからです。
母のおかげで、週末にペルシャ料理を楽しんでします。母はペルシャのシチューを作るのが得意なので、大量に作ったものを家に持ち帰り、冷凍しておきます。伝統的なペルシャ料理を食べたくなったら、サフランライスを自分で作ってシチューを温め直し、楽しみます。
ペルシャのシチューの面白いところは、1日か2日置いておくと、たとえ冷凍した後でも味が格段に良くなることです。温め直すと味に深みが出て、作りたてよりもさらにおいしくなります。
夫と私は週末を除いて毎日ジムに通っているので、平日はヘルシーでタンパク質が豊富な食事に重点を置きます。私たちの典型的な食事は、蒸したサフランライス(ポロ)とシラジサラダの組み合わせです。シラジサラダは、細かく刻んだキュウリ、トマト、玉ねぎにライムジュース、塩、乾燥ミントを添えたシンプルなペルシャ風サラダです。タンパク質の種類に応じて、サフラン、コリアンダーシード、ターメリック(必須)、黒コショウ、塩、カイエンペッパー、パプリカなどのスパイスを混ぜてペルシャ風にマリネします。ケバブにはたくさんのスパイスを入れますが、鶏肉や魚と合わせるときは、サフラン、ターメリック、レモンジュース、塩、コショウだけでシンプルにしています。
単調にならないように、タイ料理やインド料理も時々作って楽しんでいます。バラエティに富んでいて、バランスのとれた栄養価の高い料理です。
Q. あなたの典型的な1日は?
平日の私の典型的な一日はジムから始まります。1時間半です!
ジムの後は仕事のために西フランダースに直行します。ベルギーの機械メーカーなどのクライアントと会うためにこの地域によく出向きます。午後7時までに帰宅し、夫と夕食をとり、一緒にセリエAを観ます。
月曜日と木曜日はクライアントとの打ち合わせがなければ、日本語のコースに行きます。
仕事の後は陶芸のクラスに通ったり、多様性と包括性に関するオンライントレーニングを受けたりします。去年から私が追加したことの1つは、週に1回難民キャンプを訪問し、難民の子供たちの勉強や宿題を手伝うなどのボランティア活動をすることです。
Q. 週末はどう過ごされますか?
週末は、かなり多様です。
ベルギーにいる金曜日の夜は、Cimitière d'Ixelles、Saint Boniface、Flageyに行って、親しい友人とお酒を楽しむのが好きです。
新しいレストランやバーも試しますが、ベルギー以外のどこかまったく新しい場所を発見するのがもっと好きです。ベルギーに住んで24年経った今、ここで新しい冒険を見つけるのは大変です。
土曜日は通常テニスのレッスンから始まり、その後に食料品の買い出しをします。平日は忙しいことが多いので、翌週の料理の準備もします。
日曜日に天気が良ければ、夫とバイクに乗って2時間ほどドライブに出かけます。天気が悪ければ、Googleフライトで次の旅行先を検索してビタミンDと太陽を少しは得られる場所を探したりします。
秋は私の一番好きな季節です。よく夫とブリュッセル近郊の森で紅葉を眺めながら散歩をします。私にとって本当にリラックスできる時間です。
両親はブリュッセルに住んでいるので、日曜日には両親の家で手作りのペルシャ料理のランチを食べるのが通例です。
その週末に F1 グランプリがあれば、お気に入りのドライバーのレースを応援するために家に帰ります。
夫について少し紹介します。夫もイラン人で、ベルギーに20年近く住んでいます。それから一度もイランに帰っていません。私たちは会合で出会いました。もともと私は多くの異なる文化の中で育ったせいで、イラン人男性と話すことには興味がありませんでした。私は自分自身を伝統的だとも、完全なイラン人だとも思っていません。そのため、自分の国の人とつながるのが難しいことがあります。
しかし、彼は典型的なペルシャ人男性とはまったく違っていました。芸術家で、信じられないほど創造的で、心が広く、ビジネスに対する才気を持っています。また、非常にプライベートで内向的なところがあり、私とは正反対ですが、それが私たちの関係にバランスをもたらしています。
Q. お気に入りのバカンス地は?
たくさんの国を旅行しましたが、日本とタイは本当に私の心をとらえました!どちらかの国に住む可能性を考えています。
2023年の秋に日本を訪れましたが、その美しさ、秩序、清潔さ、自然、温泉、そしてもちろん食べ物に驚きました。

実はイラン人は日本の文化や食べ物についてよく知っています。私たちは子供の頃、斉藤由貴の「はねコンマ」や田中裕子の「おしん」などの日本のドラマを見ていました。こうした番組の多くはイランでは検閲されていましたが、両親は他の国の文化を理解するのに役立つように私に見させてくれました。
日本に着いたとき、私は既にこの文化やすべきこととすべきでないことを知っているように感じました。人々と話したかったのですが、英語だけでは難しく、日本語ができなかったのは残念です。
日本料理は非常に繊細で複雑だと思います。丁寧なディテールと味のバランスに魅了され、自分でも作ってみたいと思いました。一度オムライスを作ろうとしましたが、惨めな失敗に終わりました。
日本旅行と日本の漫画やアニメへの情熱の後、日本語を学ぶことにしました。日本語が話せれば、食べ物などを通して、日本に住んで地元の人とよりよく繋がることができると思います。食べ物は人々を結びつけるとよく言われていますが、それに言語を話せば素晴らしい交流ができ、両世界への入り口になると思います。
タイも素晴らしく、特に屋台の食べ物と人々の温かさが印象的でした。美しい自然と仏教の生き方にも魅了されました。地元の人たちはとてもフレンドリーで話しやすいので、すぐに彼らの言語を習得できることに気づきました。
Q. ベルギーで好きな場所は?
ブリュッセルに長年住んでいるので、一つだけ挙げるのは難しいです。各所に美しさを感じていますが、思い出の詰まった場所を三つ挙げたいと思います。
1つ目はカンブルの森公園、特に湖の近くです。夏は天気が良いので、家族と一緒にピクニックに行くのが大好きです。ピクニックが生活の大きな部分を占めるシラーズ出身なので、ここでその伝統を続けるのが大事だと感じています。
それぞれが何か持参します。私は通常、夏にスイカなどのジューシーなフルーツを持っていきます。両親はサワーチェリー、スナック、マストキアール(ヨーグルト、すりおろしたキュウリ、ドライミントのミックス)を持って行きます。チップスと相性抜群です。
カンブルの森での家族とのピクニックは最高です。もちろん、他の家族と同じように、私たちにもうまくいく時もあればいかない時もあります。みんなとても強くて率直な性格で、一緒に座っていると、まるで本格的な政治討論をしているような気分になります。会話のほとんどは政治や社会問題に関するもので、姉はいつもこうした議論の中心にいます。
彼女は欧州委員会で働いており、日常生活で政治に深く関わっています。そのため私たちよりも意見が強くなりがちです。知識が豊富で鋭いので、自分の意見をしっかりと貫きます。よってスイカとマストキアールをかじりながら活発な(そして時には白熱した)議論が繰り広げられます。
たくさん論争をしますが、これらの時間は私にとって特別なものです。私たちを結びつけ、大事なトピックについて議論するという共通の情熱を反映し、笑い、主張と愛に満ちた思い出を作ります。
2 つ目の場所はアトミウムです。夫が私にプロポーズした場所なのです。私の誕生日(2022年2月2日)に、彼はヴィンテージの1961年製バス(私のお気に入りの車の一台)で私を驚かせ、アトミウムに連れて行ってくれました。最上階のレストランで、誕生日のディナーがプロポーズになりました。本当に魔法のような夜でした。アトミウムを見るたびに、あの幸せな思い出がよみがえります。
私たちはベルギーから引っ越す予定なので、アトミウムは今後も思い出深い場所になると思います。ベルギーのシンボルであるだけでなく、私たちが人生の次の章を始めることを決意した場所でもあるのです。

3つ目はブリュッセル郊外のMeise(メイゼ)近くにあるとても古いレストランで、スパゲティボロネーゼだけを出しています。2 回目のデートの後、当時の彼である夫がメタリカのコンサートに連れて行ってくれましたが、その興奮と、デートの緊張のせいでお腹が空いていました。彼は「高級じゃないけど、最高のスパゲティを出す店があるよ。イタリアのスパゲティよりもおいしいよ。行く?」と言いました。私は「いいよ!」と答えました。
レストランは居心地がよく、温かみがあり、木製の内装で壁一面に古い映画のポスターが貼られています。注文するとき「大盛と普通のどちらがいい?」と尋ねられ、もちろん私は大盛を選びました。すぐに出てきた料理は本当にほっとする一皿でした。とてもおいしくてストレスが消え去りました。それ以来、ここは私にとって、特につらいときに、心を癒す食べ物を求めて行く場所になっています。
この 3 つの場所、カンブルの森、アトミウム、メイゼの小さなスパゲッティレストランは、私にとって単なる場所ではなく、愛、家族、安らぎの思い出が詰まっていている特別な場所です。
Q. ベルギーから引っ越したいと思いますか?
はい、その計画を立てています。一番の理由は、今までたくさんの場所を見てきたあとで、新しい冒険を渇望しているということです。国中を広く旅し、東西南北のさまざまな地域で働き、故郷のように感じるブリュッセルに住んでいます。でも私にとってここで発見できるものはもうないように感じています。旅行によって私の視野が大きく広がったこともあり、新しい場所に移るのはワクワクします。夫も同じ野心と冒険心を共有していることに感謝しています。
行きたい場所については、選択肢を絞りました。
ヨーロッパに留まるなら、リストの一番上はギリシャです。その豊かな歴史、文化、ユーモアは、革命前のイランを思い出させます。自国から亡命した私たちを歓迎してくれ、温かさとおもてなしのおかげでくつろげました。あまりに気に入ったので、一昨年の夏にアテネで結婚式を挙げました。結婚式はエーゲ海を見下ろす丘の上の素晴らしい場所で、満月の輝きの下で行われました。それは魔法のようで、永遠に大切にしたい思い出です。
私たちが移住を検討している他の2つの場所は、日本とタイです。
日本は私たちがまだ発見していない世界のように感じられ、魅了されます。豊かな文化があり、生活の組織とシステムは私にとって非常に魅力的です。ヨーロッパや中東の文化とは大きく異なる日本に住むのは大変だとわかっていますが、冒険と新しい経験が大好きなので、それがまたワクワクすします。
最近、日本の田舎に手頃な価格の民家があることを知りました。不動産会社と相談して、不動産投資の可能性を探り始めました。
食べ物やライフスタイルに関してはタイがお気に入りです。一ヶ月の滞在中に、地元の人から本格的なタイ料理を学ぶ機会がありました。タイのグリーンカレーやレッドカレーを作るのがかなり上手になりました!多くの県を旅しましたが、多様性とその魅力はとても印象的です。私たちがフリーランスとして働くことを選択した場合、リラックスしたライフスタイルと活気のある料理シーンを提供するタイは完璧な場所のように思えます。
こういった場所はそれぞれ独自の魅力があり、私たちの将来に可能性があることにとてもわくわくします。

