障害がある(かもしれない)お子さんとベルギーで暮らすための手引き【3】体験記

障害がある(かもしれない)お子さんとベルギーで暮らすための手引き【3】体験記

手引き【1】をお読みいただいたうえで、貴重な体験記もご参考にしてください。

 

III.       体験記(障害児を帯同してベルギーに赴任された方々からのご寄稿)

 

RT君(渡白時3歳8か月)のお母さまより

息子は、日本で2歳4か月の時に、中度知的障害もある多動衝動性の強めな自閉スペクトラム障害と診断されました。少しずつでしたが、発語がありましたので日本人幼稚園以外の選択肢は考えていませんでした。日本語もままならない息子を、英語やフランス語などの学校に入れたら混乱して日本語さえ減ってしまうのではないかと不安だったからです。

赴任前から日本人幼稚園へはコンタクトしておりましたが、渡白して面談してから、専門指導者がいないから受け入れはできないと言われてしまい、とてもショックだったことを覚えています。

当面は自宅での療育と公文と言語訓練でよいと考えていましたが、海外での慣れない生活に少しずつストレスが溜まり、赴任期間ずっと一日家で母と二人で過ごすのもよくないと考え、教育機関を探そうと思うようになりました。

しかし公立の養護学校に入るには、現地の指定医師による診断書が必要ということさえ、私は考えもしなかったのです。そして診断を受けるには長い時間かかり、たとえ診断書があったとしても養護学校の自閉クラスにも空きがなければ入学できないと知り愕然としました。

初めて知る現状にとても悩み、もっと事前から情報を集められていればと悔しい気持ちでした。ベルギーに滞在する間、息子は集団生活に一度も入れることができないかもしれないという疎外感でいっぱいになりました。

親の私たちは英語も少ししか理解せず、ましてやフランス語などできませんでしたので、学校探しでも、サイトにたどり着くことも容易くはなく、翻訳サイトを使っても、どこに知りたい記載があるかすら分からないような状態でした。

ベルギーでの知り合いや友人などにお願いして様々な情報がもらえるようになり、渡白から三か月がたってやっと、現地の幼稚園の見学に行くことができるようになったのでした。

障害をもつ子の親の精神的な負担は想像以上です。赴任前あるいは赴任直後に、相談機関や当地での学校情報などにたどりつけたら、どれだけ違っていただろうと思います。今後、駐在されるご家族のためにも是非日本語でのサポート体制を整えて下さることを願っています。

 

KY君(男児、渡白時4歳)のお父様から

ベルギーに赴任する際、子供の学校が家族にとっての最大の心配でした。息子はADHD+自閉症スペクトラムもあります。精神的に不安定でしたので、ベルギーの学校に受け入れてもらえるのか不明でした。

妻と話し合い、私がひとまず先に赴任し、妻と息子が来るのは学校の見通しが立ってからにしようと決めました。仕事の関係で、日本人ばかりでなく、ベルギー人や外国人に接する機会が多かったので、我が家が抱える不安について率直に話して意見を求めました。

こちらが率直だと相手も真摯に受け止めてくれます。信じられないくらい多くの方が、何かしらの障害を抱えた子供を育てたり、そういう友人・親戚を間近に見ていたりして、アドバイスをくれました。

学校を探すにあたっては、少人数で子供の個性を尊重する学校であることを重視し、画一的で規律重視のところは避けるよう心掛けました。モンテソーリ校に入れることにし、学校側とも話をして(入学を保証してくれたわけではありませんでしたが)、妻と息子が渡白しました。

自閉症スペクトラム+ADHDの子を抱えて教育に苦労したベルギー人の母親から、そこに転校したことで子供に良い転機が訪れたと伺ったからです。私がベルギーに来て半年後のことでした。

学校は、体験入学をさせて子供の様子を観察したうえで、入学を認めてくれました。ただし、この学校を選んだことは、良いことと残念なことが交じり合った経験となりました。

幼稚園は初日から楽しみ、笑顔で帰宅する充実した毎日でした。ところが、小学校にあがると学校を嫌がりました。息子に理由を尋ねると、どうやらクラスに馴染めない上、ときどき先生の見えない所で他の子に叩かれ、逆に先生からは息子が他の子に乱暴しているという誤解を受けていると、ぽつぽつと話しはじめました。

子供が適応できずに学校嫌いになると、二次障害になってダメージが拡大します。ゆえに、様子を見ながら、学校には行ったり行かなかったりの毎日でした。

先生は我々と一緒に解決策を探そうと努力して、何度も話し合い、いろいろ試してくれましたが、結局、次の転勤までの2年近くの間、息子は最後まで学校になじみ切れず、学校で話される英語もフランス語もほとんど上達しませんでした。

その後、アメリカに転勤となりました。一生懸命調べた結果、ADHDやLDの子供を集中的に教育することで実績を上げている学校を見つけ、入学させました。大変に優れた学校で、息子は自信を取り戻し、成長しました。

我々の経験から思うのは、「孟母三遷」という諺です。結局、その子にとって居心地がよく、笑顔でいられるところが一番良いところなのです。ベルギーは寛容で親切でとても良い国ですが、もし子供にとって居心地がよくないなら、その子を連れて日本に帰るという発想も必要でしょう。

ポイントは、親の柔軟性だと思います。日本では、障害福祉課、児童精神科医を通じて優れた障害児福祉制度に助けられました。特別支援教育に関する専門誌などから熱意ある先生や学校を調べることもできます。

  

KYちゃん(女児 渡白時4歳)のお母さまから

日本では共働きだったこともあり、ダウン症の娘は、市立の保育園に通っていました。会社から渡白の内々示が出された時(渡白半年前)、まず娘の受け入れ先があるのかという問題に直面しました。すぐにインターネットで可能な限り情報収集をし、日本人幼稚園とISB(特別支援学級がある)に、日本からメールで問い合わせをしました。

当時の娘は、言葉に遅れはありましたが、食事、着替え、トイレなど同年代の子供とほぼ同等にできたので、通っていた保育園でも、加配なしで過ごしていました。帰国後のことを考えると、日本語での教育をと思い、日本人幼稚園が第1候補でした。空きさえあれば、入れるものだと思っていましたが、人手不足を理由に発達に遅れがある子の受け入れが難しいとやんわり断られました。

ISBは、メールで問い合わせ、ウェイティングリストに載せてもらうことが出来ました。渡白後、すぐに見学に行きました。学費など負担は少なくありませんが、整った設備に、手厚い特別支援環境と、親子で大変気に入りましたが、残念ながら新学期までに空きが出そうにもなく、断念しました。

自分達だけでは、限界を感じ、当時便利帳に載っていた方に相談しました。オーデルゲムのSchallerという養護学校の幼稚部を紹介して頂き、すぐに娘を連れて見学に行きました。当時の校長先生が親日的な方であったことや、偶然にも空きがあったことなど、幸運が重なり、入園することが出来ました。

フランス語教育でしたが、英語を話せる先生もいた為、助かりました。少人数制でのクラス割や、マンツーマンでの療育(言語療法、作業療法)を園内で療育時間内に受けることが出来、とても充実した園生活を送ることが出来ました。入園の際に、日本から持って行った、正式な発達検査の結果をフランス語に翻訳してもらったものを園に提出したことで、新学期からスムーズ入園出来ました。

私達の経験から、障害児を持つ駐在家族向けの資料、手引きがあれば、とても助かると思いました。渡白前にそれらが取り寄せられると、尚良いと思います。日本の常識が、ベルギーの常識ではないこと、現地での園探しや、その後のやり取りは時間がかかることをふまえ、渡白前から情報収集や準備を始めることをお勧めします。

  

IM君(男児、渡白時2歳3か月)のお母さまから

我が家がベルギーに赴任したのは、20年前でした。2歳になっても発語がなかったことに不安を感じていたので、赴任前に児童精神科や教育センターに相談をしましたが、2歳ということもあり診断名はつきませんでした。一時帰国を利用して再度児童精神科を受診し、知的障害を伴う自閉症と診断されました。

その頃の私は、障害受容もできず、特性に合わせた教育の仕方もわからず途方に暮れていました。主治医からは、日本語の教育環境の方が適切という理由で、日本人幼稚園に相談に行くように勧められましたが、相談に行くと、補助教員をつけられないという理由で断られました。

入園を断られた私は、どうしたら通常発達の児童と同じ環境で生活できるのか、そのことばかり考えていました。不安のあまり相談できるところはどこにでも行きました。今思えば、本人が安心できるように生活リズムを整え、落ち着いた環境で過ごすことも選択肢の一つだったように思います。年齢並みのことができない不安と孤独、そして何度教えてもできるようにならない苛立ちに押しつぶされそうになりました。

その後二度ほど、現地の普通幼稚園を不適応といわれて変えざるをえず、ようやく確定診断がついたことで、グランプラス近くの養護学校Chanterelleの幼稚園に入れました。フランス語でしたが、TEAACHプログラムやPECS(カードを使って意思表示をする練習)、乗馬セラピーやスイミングのプログラムにも参加させてもらいました。

ベルギーの養護教育はとても配慮が行き届いていて、その恩恵を受けられたことは幸運でしたが、幼児期に、母語以外の教育環境を障害がある子どもに強いること自体、間違っていたと思います。

かといって、障害児がいるために、海外赴任をしないという選択肢も考えられませんでした。子育てというものは、誰もがその立場になって初めて、目の前の課題が認識できるものです。

障害児の子育ても、あの時の私たちには未知のものでした。母親もまだ障害の告知を受けた不安定な状態だからこそ、本音を言えば、日本人幼稚園で、子育て支援(願わくば、障害児の療育)を提供してもらえれば、あんなにも悩んだり、子どもをあちこち連れ回さなくてよかったのではないかと思います。

もちろん、日本人幼稚園や日本人学校の善意に委ねるだけではなく、海外にいる日本人子弟のことなので、文部科学省や厚生労働省、企業等が人材や費用をつけて支援してほしいです。幼児期に児童と母親を支援する仕組みは、駐在する国のサービスを利用するべきだという考えもあるとは思います。

ただ、日本のサポートも選択できたならどれだけ救われたかと思います。これからは、高額な予算でなくてもzoomなどで、先生方や保護者の方々が悩みや指導法の相談でき、障害のある児童の成長を一緒に見守れる環境が提供できると思います。息子には、ベルギーという社会に適応することと、帰国後、日本の社会に適応する二度の負担を強いてしまいました。

早期発見、早期療育は、その後の発達にも影響を及ぼします。また障害がある子どもを育てる母親の精神的負担も相当なものです。どうか、ベルギーの福祉制度に甘んじるばかりではなく、外国に住む障害のある日本人子弟の教育・療育の問題に取り組んでいただきたいと切に願います。

  

HTちゃん(女児、渡白時3歳)のお母さまより

我が家の長女は重度の脳性マヒです。健常児で生まれましたが、1才の時に風邪のウィルスが脳に入り、脳の大部分が壊死してしまいました。その結果、歩けない、喋れない、視線も合わせられない、食事だけは、スプーンで口に入れてあげれば、自分でモグモグできる状態です。

私たち家族がベルギーに在住したのは1995年から2002年の6年半、娘が3才から10才まででした。今から25年も前のことです。ベルギーに着いて、まず始めたのは、長女の学校探しでした。

何の手がかりもなく、暗中模索でした。私のフランス語習得は必須と考え、習い始めたフランス語の家庭教師の先生が、とても親切で日本語も堪能だったので助けてもらい、いくつかの学校の見学に行きましたが、全て断られました。

その間、家で訪問施術してもらうことなったPT(理学療法士)の方に「CREB」(重度心身障害児療育施設)を紹介してもらいました。CREBは娘の障害に合ったとてもいい施設でした。

ただ、居住5年未満の外国人は、当時で1日約15,000円と負担が大きかったので、特別に週3日だけにしてもらい、他の日はPTに自宅に来てもらっていました。在住5年が過ぎたその日から、ほぼ無償となったので毎日通えました。

外国人として赴任するのですからある程度の負担も覚悟して、外国語習得や現地の方との人間関係造りにも努力して、子供さんに一番良い環境を見つけてください。

 

 

>>>手引き1基礎情報>>>LINK

>>>手引き2学校・相談>>>LINK

 

2020年版 コロナ危機が起こった年に

発起人:元気ママの会有志

賛同・協力者: RT君のお母様、HTちゃんのお母様、IM君のお母様、KY君のご両親、KYちゃんのお母様、RK君のご両親、臨床心理士・川瀬まりさん 他

お断り:情報の正確さには最善を尽くしていますが、作成者は一切の責任を負うことができません。 ご理解ください。

ボランティア精神をベースにまとめたので、基本的にこれを商業利用はしないでくださるようにお願いします。日本人コミュニティーの共有知的財産として必要とする方に役立てていただけることを祈ります。 なるべく年に一度は更新(変更、追加、削除、備考、体験記追加など)するようにしますが、アップデートできていない情報もあるということをご理解の上、参考にしていただければ幸いです。このバージョンは、2021年4月1日更新版 by MKです。他の方が更新して公開してくださる場合には、同じようにして、更新日時とイニシャルを付記してください。