ご出身は?
私の母はクルド人で、1960年代半ば頃にトルコ東部で生まれました。トルコ当局とクルド人の歴史に詳しい人ならご存知でしょうが、当時の生活は決して楽ではありませんでした。
母方の祖父はより良い生活を求めて、まず一人でベルギーのリエージュにやって来ました。今は亡き祖母はその間、4人の子供たち、娘1人(当時10歳くらいだった私の母)と息子3人とトルコに滞在していました。
詳しいことはあまり聞いていませんが、彼らは非常に「トルコ重視」の教育を受けなければならず、大変な思いをしたとのことです。経済面では、彼らの生活のほとんどは祖父の収入によるものでした。飢えや欠乏に苦しむこともあったそうですが、幸いずっとは続きませんでした。祖父は何とかやり遂げ、仕事を見つけ、家族を呼び寄せてベルギーで一緒に暮らせるだけのお金を稼ぐことができました。
そういうわけで母は10代の頃から今まで、人生の大半をベルギーで過ごし、フランス語や様々なことを学びました。母と私の叔父たちは、ベルギーでのあの頃のこと、特に食べ物や皆の間にあった素晴らしい仲間意識について、とても懐かしく語ります。

父の方は、ほぼ同じ頃にモロッコのタンジールという街の近くで生まれました。父の幼少期は、母と比べると少し楽だったと言えるかもしれません。家族は裕福ではありませんでしたが、住む家と食べ物、そしてある程度の心の平穏はありました。父を含めて子供たち皆が学校に通い、自分の道を見つけることができました。
10代の頃、彼はかなり優秀な学生だったと聞いています。アラビア語、旧フランス植民地だったためのフランス語、そして複数の科学分野を学びました。成人に近づくと、奨学金を得て、ヨーロッパ、ベルギーへの留学を許可され、さらに学ぶことになりました。
彼は昔から物理学と数学関連の科目が好きでした。詩的なところもあります。YouTubeでアインシュタインの一般相対性理論の動画を見たあと、情熱を込めて解説しようとするような人です。私は彼の意見に同意する部分もあれば反論する部分もありますが、私たちの知識の範囲を超えている理論があるということを、どちらも理解していると思っています。
父がベルギーに来た理由は、当時ベルギーは多くの労働者を必要としていたことの他に、父が夢を追いかけ、将来の展望を抱く人だということが言えると思います。経済的な見通しも父の決断に影響を与えたでしょうが、同時に父の精神と人生観が、母国を離れるという道を常に選ばせていただろうと、私は強く感じています。
なぜリエージュだったのかは分かりませんが、数年後、母のもとへ導かれたのは、まるで宇宙の導きだったかのような気もします。そして、そのすべてが私と弟へと繋がったのです。彼らが私たちのためにしてくれたことすべてに私は心から感謝しています。

お仕事は?
学生時代、主にコンピュータサイエンスの勉強をしていた頃、あるいは勉強が終わってから少し経った頃、小さな仕事をいくつか経験しました。夏場のリンゴやナシの収穫、市内中心部の駐車場での作業、低学年の生徒の宿題の手伝いなどです。自分が何をしたいのかを見つけるのに時間がかかりました。多くの人と同じように、時が経つにつれて自分のやりたいことが変化し続けています。
ここ8~9年は、ブリュッセルにある小規模ながらも面白いIT企業でソフトウェアエンジニアとして働いています。あらゆる種類のアプリケーションを設計し、多くのコードを書いています。チームが小規模なので、クライアントの漠然としたアイデアから最終的なプロジェクトの納品まで、ほとんどの段階に関わっています。
私たちの仕事は、他の企業が抱える問題を解決し、システムを改善することにあります。データサイエンスの原則に携わっており、機械学習、自然言語処理、人工知能についての知識を応用します。これらのアイデアが近年主流になってきたため、私たちの主な活動は、OpenAIのChatGPTやAnthropicのClaudeなどのモデルを活用し、他の企業に新しい機能を提供することに焦点を当てています。
長年にわたり、多くの同僚と出会い、その中には今では親友になった人もいます。ベルギー以外にも、ギリシャ、チリ、イギリス、アメリカ、フランス、スペイン、モロッコ、インドなど、様々な国の人と仕事をしてきましたが、今のところ日本とは(まだ)一緒に仕事をしていません。
この仕事が好きなのかと言えば、好きな時もあれば、嫌いな時もあり、両方です。朝は自分が賢いと思っていたのに、午後には自分が馬鹿だと思ったり、その逆もあります。難題に挑戦するとき素晴らしいと感じることもあれば、きちんと解くには時間が足りず、イライラすることもあります。仕事に大きな意味を見出す時もあれば、全く意味を見出せない時もあります。結局のところ全体的に悪くはなく、今の状況は幸運だと思っています。
ご趣味は?
趣味と呼ぶべきか情熱と呼ぶべきか分かりませんが、私はよく歩きます。ほぼ毎日、2時間ほど外出して、市内中心部、公園、ブリュッセル周辺の住宅街、コミックショップ、図書館、レストラン、カフェなどを散策します。これは、COVID-19のパンデミック中とその後、徐々に増えた習慣です。散歩中は、たいてい音楽かポッドキャスト、オーディオブックを聴いています。歩くことで本当に心が落ち着き、心身ともに素晴らしい効果を感じています。
それ以外にも、テレビ番組や映画、アニメを見るといった、もっと普通の趣味もあります。小説、コミック(バンド・デシネ)、マンガも定期的に読んでいます。週末を丸ごと夢中にさせてくれる、次の素晴らしい本や番組をいつも探しています。
最近、卓球をまた始めました。若い頃にやっていたからという他に、とにかく楽しいんです。バスケットボールも時々やります。そのエネルギーが大好きです。それから念のため言っておきますが、もちろん友達と遊ぶのも大好きです!
時々、しばらく後終わってしまう興味にとりつかれることがあります。やってみたいことや学びたいことが頭の片隅でぐるぐると回っていますが、そのうち根付いて現実のものとなるまで、じっと見つめます。例えば今、いくつかアイデアが浮かんでいます。「楽器を習うのもいいかな?」「ずっと考えていた小説をついに書いてみようかな?」「猫を飼うか、犬を飼うか?」など。どうなるかは、時が経てば分かるでしょう。

お気に入りのバカンス地は?
幸運にもヨーロッパの多くの国を訪れることができました。フランス、ドイツ、オランダ、スイス、イギリス、スペイン、ポルトガル…挙げればきりがありません。トルコとモロッコには何度か旅行しました。近年では日本にも2回訪れる機会がありました。
ヨーロッパで一番好きな国といえばスイスでしょう…もしお金持ちだったらの話ですが!でもそうではないので、ポルトガルのアルガルヴェ地方に栄冠を捧げたいと思います。食べ物、天気、美しい景色、そしてゆったりとした雰囲気を考えると、良い選択だと思います。でももしかしたらイタリアのサルデーニャ島やフランスのアヌシー湖が近いうちにその座を奪うかもしれませんね。どうなるか楽しみです。
日本への旅は、これまでで最高の旅体験として記憶に残っています。日本旅行が私にとって特別なものになった理由の一つは、文化の違い、そして疎外感ではなく、むしろ魅力的な「異質性」を感じたことです。寺院の静寂、息を呑むような自然、日常生活の秩序と構造。まるですべてが少しだけ意図的で、少しだけ詩的なパラレルワールドに足を踏み入れたような感覚です。ワークライフバランス、規範、社会的なプレッシャーなど、表面的にはすべてが理想的ではないことは承知していますし、私の視点はあくまでも部外者からの視点です。それでも、日本の美しさは忘れられない印象を残し、また訪れたいと思っています。
ベルギーで好きな場所は?
ブリュッセルでは天気が良くて夕日を眺めたい気分の時に、観覧車のあるパレ・ド・ジュスティス周辺が思い浮かびます。同様に、モン・デ・ザール周辺も好きです。美しい建築物、素晴らしい景色、王立図書館、そしてたくさんの美術館があります。また、ラ・カンブルの森、サンカントネール公園、ウォルウェ公園といった素敵な公園も大好きです。コミック、BD、マンガを読むなら、Le Dépot、Multi DB、Pêle-Mêleに行くことが多いです。
リエージュとその周辺では、私にとって懐かしいクーとその滝 Les Cascades de Coo、そして小さな町デュルビュイが好きです。バヌーBanneux近郊の田園地帯でのハイキング、RAVelでのサイクリング、Sart Tilmanでのテニス、Montagne de Buerenへの登山で素晴らしい景色を眺めるのは、いつも楽しいです。
ベルギーから引っ越したいと思いますか?
よく分かりません。考えては忘れ、また考える、そんな感じです。スイスやオランダなど、それほど遠くない場所に移住して、ちゃんとした仕事を見つけられるかもしれない、と考えることもあります。あるいは遠く日本まで行って、とりあえず大きな冒険をしてどうなるか見てみよう、とも考えたりします。難しい選択です。ここには家族も友達もいるし、居心地も良いですから。でも、どこか別の場所でもっと友達を作って、ここにいる友達に頻繁に会いに行くこともできます!そうなるかもしれませんし、ならないかもしれません。もしかしたら、誰かに出会ったり、何か良い機会に恵まれたりして、この決断が楽になるかもしれません。それも良いですが、しっかりとした計画が必要だと思います。
どうして日本語を?
私の叔父の一人はシナリオライターで、長年にわたりベルギーのコミック(バンド・デシネ)を数多く出版してきました。私が幼い頃、叔父と母はいつも私と弟のためにコミックを家に持ってきてくれました。それを私たちに読み聞かせてくれたり、執筆中のストーリーの一部を私たちだけに教えてくれたりもしました。
バンド・デシネが好きだったおかげで、かなり早く一人で読める年齢になった私は、すぐにマンガの世界と出会いました。その頃、「クラブ・ドロテ」というテレビ番組で、『Goldorak :グレンダイザー』『Albator:キャプテンハーロック』そしてもちろん『ドラゴンボール』といったアニメを見始めました。その後母に『ドラゴンボール』のマンガを買ってほしいとせがんだり、叔父が新しいマンガを小脇に抱えてやって来るのを待ちわびたりするようになりました。私と弟、そして友達は、幼少期に『幽☆遊☆白書』『NARUTO』『BLEACH』など、さまざまなアニメを観ていました。
思春期の頃、叔父が『鋼の錬金術師』と『MONSTER』という漫画を持ってきてくれたのを覚えています。この2冊に夢中になりました。お金を貯めて数ヶ月ごとに読み返していました。続きが待ち遠しくてたまらなかったんです!その頃、少年漫画よりも青年漫画の方が好きだと気づきました。『MONSTER』『20世紀少年』『PLUTO』などで知られる浦沢直樹さんの大ファンになりました。三浦建太郎さんの『ベルセルク』も大好きで、亡くなったと知ってとても悲しかったです。この漫画をクラスメイトに貸したら、最初は怪訝な顔をされたのを覚えています。でも、すぐに次の巻を持ってきてとせがまれました!
大人になってからも、日本からの新しい発見は続いています。スタジオジブリ、新海誠監督作品、『AKIRA』など、数え切れないほどです。長年にわたり、日本の芸術に魅了され、感動してきました。そしていつか一緒に日本語を学ぼうと、マンガを読んだりアニメを見たりするのが好きな友達と話したのを覚えています。やらない理由はありません。
頭の中にあったアイデアの一つを、今実行しているというわけです。フランス語を母国語とする私にとって、日本語を学ぶのはかなり難しいですし、逆の場合も同じだと思います。でもたとえ漢字が難しくてイライラしても、負けません!いつか流暢に話せるようになったら、きっととても嬉しく、誇らしくなると思います。





