フルデン・ドラーク Gulden Draak

とにかく甘い。この白いボトルを見ると、甘さが脳裏をよぎる。アルコール度数も高い。こげ茶色のビールにすっかり酔いつつ、詳しく調べてみた。

ゲント郊外で作られる。名前はオランダ語で「黄金の龍」の意味。(古風なつづりですが)そして、舌を大きく突き出した独特の意匠はゲントの鐘楼の天辺に飛ぶ龍に由来する。

この龍がどこから来たのかというのが、醸造所のサイトに書かれていて、それによると・・・

伝説の黄金の龍は、ノルウェー王Sigrid Magnusson(ジークリッド・マグヌッソンと読むのでしょうか?Sigurdとも)が1111年に十字軍に参加したときに船首に飾っていたものである。彼はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の皇帝に、アヤソフィアのクーポラの天辺に設置するようにと献上した。数百年後、フランダースのボードワン4世伯爵が持ち帰り、ブリュージュに置かれていたが、1382年のベーフェルハウト Beverhout の戦いを機にゲントが戦利品として奪い取り、鐘楼の上に設置した。ゲントの鐘楼は街の重要な憲章が保管されており、龍はそれを守り、街の自由を象徴するものとして存在する。

このモニュメントが本当に12世紀の由緒あるものなのか詮索はさておき、ゲント自慢のフルデン・ドラークは、アルコール度数は10.5度。濃い茶色で、甘く、キャラメルやコーヒーを思わすほろ苦さ。樽と瓶の両方で発酵するので、何年か保存が可能。もしかすると、甘さがおさまるまで待ったほうがよいのかもしれない。瓶内二次発酵にはワイン酵母が使用されていることも特筆に値する。

食前酒、もしくは食後のデザート酒として飲める。ダーク・チョコレートとの相性よしという醸造所の主張もうなずける。

【醸造所の歴史】1784年に遡る。ゲント郊外エルトフェルデ Ertvelde でジョン・バプティーズ・ド・ブルイン Jean Baptise De Bruin が、ド・ペール DE PEER という名前の醸造所を創設し、彼の死後は妻アンヒェリーナ・ペトロネッラ・シェルフォート Angelina Petronella Schelfaut が引き継ぐ。彼女の死後は長年に渡って事業の手伝いをしていた従兄弟のジョゼフ・シェルフォート Jozef Schelfaut が継ぎ、ジョゼフの娘マルフリート Margriet がゲント醸造学校の微生物学の先生であるポール・ファン・ステーンベルフ Paul Van Steenberge と結婚。この先生がビール作りの指揮を取り、1919年には社名をブリューワリー・バイオス BREWERY BIOS に変更。彼は政治の世界でも活躍し、エルトフェルデの市長で国会議員も務める。オランダ・デルフトの工科大学の微生物学の先生でもあり、そこではルイ・パスター Louis Pasteur が生徒であった。こうした経歴もあり、ポール先生は新しいビールを開発し、工場の近代化を成し遂げ、戦中の厳しい情況下にあって他の醸造家たちと同じ会社の傘下に入ることにした。しかし、彼の妻マルフリートは他の醸造家と同じ会社にいることをいさぎよしとしなかった。彼女の意志は息子ジョゼフ・ファン・ステーンベルフ Jozef Van Steenberge に受け継がれ、1962年の父の死後ジョゼフが経営者となる。それから上面発酵瓶内二次発酵のビール作りを開始。1978年にはゲントのアウグスティヌス修道会のレシピを再現することが行われ1982年に発売。同様にピラート Piraat やフルデン・ドラーク Gulden Draak も生み出された。1990年、ジョゼフの息子ポールが会社経営を引き継ぎ現在に至る。

 

Gulden Draakのサイト

http://www.vansteenberge.com/en/our-beer/gulden-draak/gulden-draak/

CC Photo: Gent Belfort by Wernervc

 

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