アントワープ観光は、駅に降り立った瞬間に一つのクライマックスを迎える。「世界で最も美しい駅ランキング」の常連であるアントワープ中央駅の豪華絢爛な駅舎が旅人を華やかに歓迎してくれるからだ。
世界で最初に鉄道を敷設して蒸気機関車を走らせたのは産業革命に成功したイギリス(1825年)だが、ヨーロッパ大陸での「初」はフランスでもドイツでもなくベルギー(1835年)であることは、ベルギー人のささやかな自慢の一つである。
初年度はブリュッセルとメヘレンの間。開通式の主役は、即位してまだ間もないベルギー初代国王レオポルド1世と、その2番目の妃、若きルイーズ王妃であった。翌年に鉄道はアントワープまで延伸したが、その最初の駅舎は質素な木造であった。今の場所に美しく建設されたのは19世紀末。ちょうど鉄道開業の年に生まれたベルギー第2代国王レオポルド2世の命による。1895年に着工し、1905年に完成した。
ローマのパンテオンを参考に中央のドームを設計したのはルイ・ド・ラ・センスリー(Louis de la Censerie)。鉄とガラスで作られた駅舎はクレモン・ファン・ボガート(Clément van Bogaert)だった。高架橋はアントワープで活躍したオランダ生まれのヤン・ファン・アスペーレン(Jan van Asperen)の作品である。
アントワープ駅が作られた時期はアフリカの植民地コンゴの経営がようやく成功し、レオポルド2世に莫大な富が転がり込んできたタイミングである。成功の秘訣は天然ゴムだった。当時、自動車のタイヤを作るためにゴムの需要が急騰していた。原材料のゴムの木が、コンゴの密林のなかに多く自生していたのが幸いした。他の列強各国も熱帯地方にある植民地で大規模なプランテーションを構築しようと動いたが、ゴムの木が成長するまで何年も時間がかかる。その間にレオポルド2世はゴム市場で大もうけができたわけだ。
しかし、厳しいノルマを課せられて劣悪な環境で働いたコンゴの奴隷たちの悲劇が世界的に報道され、レオポルド2世は非人道的な植民地政策を批判された。それまで王の個人的な私有地だったコンゴは、しぶしぶながらベルギー国家に譲渡されることになる。
レオポルド2世は歴代のベルギー王のなかでも最も業が深い人物である。晩年はブランシュ・ドラクロワ(Blanche Delacroix)という若い愛人を寵愛し、私生児を2人も生ませている。1909年、スキャンダルにまみれた王は自国民からも批判的な目を向けられながら74歳の生涯を終える。
華やかな産業革命の金字塔であるアントワープ駅、しかしその影には、他の列強諸国に負けじと黒人奴隷を搾取したレオポルド2世の波乱に満ちた人生があることを知っておきたい。
26.jul.2016 by tyltyl