コロナ明けから3回目の外食。サン=ジェリ地区にあるアジア系レストラン。
ここに初めて入ったときは、偶然見つけたのだが、料理がとても美味しくて、ミチルの舌にあってお気に入りのレストランの一つ。このお店には、ご縁があるウエイトレスさんもいる。
メイ(仮名)は、以前私が住んでいたアパルトマンの近くにあった中華レストランのオーナーだった。
きっと美味しいものが大好きなのだろう、美味しい中華をリーゾナブルな値段で提供する、とても便利なレストランだった。ちょっと料理をするのが面倒なとき。ちょっと小腹が空いたとき。笑顔の素敵なメイさんが、いつも明るく迎えてくれるので、自然といつしか常連となっていた。
ミチルは新しいレストランを開拓するのが好きなので、1度入ったレストランには、よほどのことがない限り2度目は行かない。なので私が常連になるなんて、とても珍しいことなのだが、ここだけは違った。
メイは香港からやって来て、貯めた貯金でこのレストランをはじめた。異国の地で、女性一人で頑張っている彼女の姿は、私の生き方と重ね合わさるように見えて、ずっと応援したいと思っていたのに、開店してから2年もしない頃に、店を閉めると言う。
理由は、ずっと美味しい料理を作っていたシェフが、ずっと高い給料で引き抜かれることになり、引き留めることも叶わず、他にも見つからず、ということだった。そのお店をたたんだ後、しばらくメイと会うことはなかったのだが、ある日、別の中華料理の店でウエイトレスをしている彼女に出会った。狭いブリュッセル、お互いブリュッセルにいる限り、どこかで会えるのだ。
さて、サン=ジェリ地区のレストランは、私もしばらく通っているが、彼女もここは職場として、気に入っているらしい。オーナーだったときの彼女とかわりない明るい笑顔とポジティブなエネルギーを振りまいている。
「ねえ、元気?久しぶり! 私、ここのレストランのお休み、火曜日なの。だからそれ以外の日に来てくれれば私がサービスできるわ」と、久しぶりに再会したときに教えてくれた。常連とまでいかないまでも、時々行くレストランにここが決まった。
今、コロナ対策でソーシャルディスタンスを取るために、内装がガラリと変わったお店では、ある意味ゆったりとお食事ができるようになったのはいいとして、入店人数が減ったため、すぐに満席になるようになった。
いつもラストミニッツで出かける私が、ダメもとで直前予約の電話をかけたら、メイが受話器をとってくれて、ほぼ満席だけれどテラス席でよければ大丈夫よと受け付けてくれた。
サービスしてくれた彼女に、挨拶と近況報告を済ませた後、
「ところで、メイさん香港出身だったよねえ。香港は実際のところ、どう?ご家族とか大丈夫?色々と大変らしいじゃない?」と聞くと、
いつもらしくない感じで、大きくため息をついた後、彼女はこう話してくれた。
「多くの人が、今香港から台湾に移住を考えているわ。私の親戚も、実は二つに割れていて、困ったことになっているの。
年寄り連中は、年金のこととかあって、中国の言うとおりにしていた方がいい、このままでいい、問題ないっていう感じで、もう自分の老い先短いから、あまり難しいことは考えたくないって感じ。
一方で、若いいとこや親戚は、今まで自由に発言していたことが、できなくなるだけでなくて、牢屋に入れられる可能性があるってことで、本当に香港の未来はないって、悲観していて、同じ家族でも、意見が分かれているから、家族の断絶にもつながっているのよ。
ここだから、私も自由に意見が言えるけど、それでも、やっぱり中国の悪口なんて、怖くて言えない。こんなことを話しているのを聞かれるだけで、ビクビクしないといけない香港になるなんて、誰が考えたかしら。
香港は、もう私が昔住んでいた香港でなくなってしまったのは確か。
どうしてこんなことになってしまったんでしょうね・・・」
メイの話を聞いて以来、日本人が日本の政府に対する批判を、何の恐れもなしに人前で話せること、そのことが実はとても貴重で、重要で、自由で、素晴らしいことなのだと私は思った。
そして、当然のことだと思っている言論の自由が、何もしないで与えられる権利なのではなく、戦って勝ち取っていかなければいけないことなのだと強く感じた。もし国民が怠けていれば、いつか気づかないうちに、香港と同じ危険が迫ってくる可能性も否定できない。しっかり心を引き締めなければいけないのだ。
国際社会は、今後の香港を注意深く見守っていく必要があるだろう。
24.jul.2020