映画 また君に会えるまで Une Part Manquante

『また君に会えるまで』は、ブリュッセル生まれの監督ギヨーム・セネズがフランス人俳優ロマン・デュリスを主演に迎えて制作された映画で、結婚が破綻した際の子供の親権がテーマとされている。

物語の舞台は東京。デュリス演じるフランス人のジェイは日本人女性と結婚し、リリーという娘をもうけるが夫婦の間は諍いが絶えず、妻は子供を連れて姿を消してしまう。

娘との再会を諦められないジェイは、日本にとどまることを選択。仕事も料理人からタクシーの運転手に転職し、日夜街を走りながらリリーを探す日々を送るのであった。 個性的な俳優たちが、それぞれの苦悩を抱えながら生きる姿がドキュメンタリー風に描写され、ストレスとその発散、銭湯などでの癒しの場面が、日本という異質な世界の叙情を伴って表現されている。

監督のセネズと主演俳優のデュリスは、2018年の『パパは奮闘中!』(原題 Nos Batailles)でも共に制作した仲である。実は当時のプロモーションで彼らが日本を訪問した際に、国際結婚のカップルが親権の争いになり日本にいる自分の子供に会えないという話を聞いたことが、本作のインスピレーションの源になっている。

日本が2014年に締結国となったハーグ条約では、国境を越えた子供の連れ去りを阻止するもので、子供が育った環境から無理に引き離されないことを保障している。 映画の物語設定では、ジェイの家族はずっと日本で暮らしていたため母親が娘を連れ去ったとしても、日本国内でのことなのでハーグ条約は適用されない。母親の単独親権が既成事実化してしまった。


現実にも、数年前にフランス人男性が子供が連れ去られた窮状を訴えるべくハンガー・ストライキを実行したニュースが報じられたのが記憶に新しい。フランスのエマニュエル・マクロン大統領が当時の安倍晋三首相に直談判したが、事態は何も変わっていない。

欧州、または世界的にも離婚など結婚が破綻した夫婦は親権を共有するのが通常で、子供は両親に自由に会える制度である。それに対して日本では片親のみが親権を独占する場合が多い。子供により近い母親の立場が優先されるのも特徴だ。

また、最初に子供を手元に置いた親のほうが有利な立場になること、警察や司法が家庭問題に介入しない姿勢であることなど、問題の多い制度や慣習の見直しの必要が指摘されている。ちなみに共同親権については民法の改正案が国会で可決され、2026年に施行される予定である。


映画は日本社会の非人間的な部分を指摘しているが、制度の不備についてよく研究したうえでの表現になっている以上は、メッセージは真摯に受け止めるべきだ。 子供を奪われた側のヨーロッパ人の親は、ある意味で「被害者」ではあるが、本作のなかでは、まったく非がない完全な人間であるかのようには描かれない。ときに醜いエゴが出て、抑えきれない衝動から法律を逸脱してしまう人間らしさをもった役作りがなされている。

結婚生活で間違いをおかすこともある。それでも自分の子供に対する愛情を失わず、たとえ一緒に暮らせなくても定期的に直接会って抱きしめたいと願うのが親の本能だ。厳格すぎる社会と親子の愛情との葛藤を描く、監督の人間観がにじみ出る作品に仕上がった。(山)

 

監督・脚本:ギヨーム・セネズ

1978年ブリュッセル生まれ。ベルギーとフランスの二重国籍をもつ。いくつか短編を手がけた後、Keeper (2015)、Nos Batailles (2018)と長編を発表。本作と同じロマン・デュリス主演の二作目でベルギーのマグリット映画祭の最優秀作品賞と最優秀監督賞をダブル受賞した。

 

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