カール・マルクスは1845年から48年まで、政治亡命者としてブリュッセルに在住していた。若い頃のマルクスの生き様を描いた映画『Le Jeune Karl Marx』。産業革命により過酷な労働条件下で働く人々の権利を勝ち取るため、新しい社会思想を作り出すことに情熱を燃やした若いドイツの青年マルクスのリアルな素顔を見ることができる。
歴史の教科書に登場する社会主義思想の父カール・マルクスというお硬いイメージとは違い、映画では生身の人間としてのカール・マルクスが登場する。
マルクス自身はドイツの中産階級(ユダヤ系)出身だが、過酷な条件で働く労働問題には、資本主義という思想の問題があると感じており、近代の奴隷主義を思想家として打破したいと考えていた。
そんなとき、同じドイツ出身のフリードリヒ・エンゲレスと出会い、二人は大酒を飲みながらも新しい思想の創出に努力を共にしていく。
※冒頭写真は、1864年、左上のエンゲルスと隣がマルクス、下はマルクスの3人の娘達。
エンゲルスもまた、階級社会の矛盾に苦しむ一人の男だった。工場の経営に携わりながら、労働者の女性をパートナーとしてもっていた。恋愛も自由に、というのが興味深い。
革命的思想を育むマルクスとエンゲルスは、迫害にさらされながらも当時の社会主義運動に、思想的な側面で力を与えていく。当時の「人類皆平等」という考え方では生ぬるいと考えた二人は、「ブルジョワジー対プロレタリアートの階級闘争」というより大胆な概念を打ち出して、労働者たちが自らの権利を力づくで勝ち取っていく契機を生み出した。
ベルギーに移住するにあたって、「政治的な文章を出版をしない」という誓約書にサインさせられる場面も映画では描かれている。
新しい思想は、それまでの社会秩序を破壊する力を秘めているゆえに、当然のように危険視され、迫害され、社会全体に有用であると認められるまでは、苦難の道のりをたどることは歴史に多く見られる。
ベルギーは1831年に憲法を制定して建国した「新しい国家」であり、思想的にオープンな土壌がある。政治的な迫害から逃れるため、隣国であるフランスやドイツ、イギリスなどから政治家、文学者、思想家らが、「政治難民」として一時的に居を構えるというケースも少なからず見られる。
有名なところでは、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーも、ナポレオン3世の独裁に反対してフランスを追われ、ベルギーそしてイギリス領の島で長年亡命生活を送った。ブリュッセルのグランプラスへの賛辞が今も残っている。
マルクスの場合、父親から相続した遺産の一部を労働組合の武器購入のために援助したのではないかとベルギー当局から嫌疑をかけられ、ついには1848年3月、国外退去をするようにと命じられた。