ベルギーの新学期は9月に始まる。今回は、ミチルが語学学校で出会った個性的な人々をご紹介したい。
でっぷりとお腹の出たアラブ系のおじさんは、シリアからの難民だった。祖国では成功した開業医だった彼は態度が尊大。
彼のフランス語が特に皆より上手なわけでもないのに、いつもふんぞり返って、他の生徒たちを下に見ているところがあった。
しかしある日、薄くなったグレーの髪をなでつけながら、小柄な彼が「この歳になって、まさか言葉もろくに通じないような国で、人生すべて一からやり直すことになるなんて思いもよらなかった。戦争で突然すべてを奪われ、国を追われ、親戚を頼ってベルギーに来ざるを得なかった。シリアは賢い人々の集まる立派な国だったのに、あっという間に変わってしまった。私の年齢で若い人々に混じって勉強しなくてはならない屈辱を、君なんぞには理解できんだろうな」とため息をついた。
なるほど、この人がいつも威張って見えるのは、精一杯の虚勢なんだなと胸が痛んだ。
セシリアは26歳の若くて綺麗な女の子。栗色のソバージュが肩まで伸びた彼女は、ベネズエラから亡命してきていた。
当時、ベネズエラの崩壊はまだ始まったばかりだった。祖国にいると殺されると言うので、正直ちょっと大袈裟じゃなかろうかと感じたのだが、でも、きっとそれは真実だったのだろう。
リベラル系の新聞社で働いていたセシリアは、政府の言論統制が厳しくなったため亡命を決意。報道の自由も大切だが、命には代えられない。平和な日本で、のほほんと生きてきた私には、信じがたいような話だ。一体私にできることはなんだろう?
つぶやいた私に彼女は言った。
「まずは、ベネズエラの情勢に関心を持ってくれるだけでいいの」ジャーナリストの彼女は、自分なりの使命を感じていたのだろう。ベルギーからベネズエラの現状を伝えようと、一生懸命フランス語を勉強していた。
あるとき偶然、クラスに白人が一人もいなくて、ミチル以外は全員アフリカ出身ということがあった。日本人の知人に話すと、「その学校、大丈夫?」と怪訝な顔で心配された。黒人ばかりと聞いて危険な貧困地区の学校に通っていると勘違いしたようだが、彼の想像とは裏腹に、彼らは裕福で教養の高い人々だった。
ブルキナファソの外交官の子息であるベネウェンデは若いがとても礼儀正しく、お別れ会のときにはクラスの仲間全員にマルコリーニの高級チョコレートを配ってくれた。
ジャーラはセネガル人の女子大生。毎回まったく違う髪型でやってくる。どんな手入れをしているのかと聞いたら、ケタケタ笑いながらカツラを脱いで、いくつもカツラを持っているのだと明かしてくれた。ひとつ何百ユーロもするというのに!
学校のイベントで会った茶髪の女の子は、チベット人だという。私にはチベットなんてダライラマのイメージしかない。
彼女は命からがら祖国から逃げてきた。家族は今もチベットにいるはずだが、10年前に亡命して以来、危険だからという理由で一度も連絡をとっていない。
チベットには自由がない、未来がない、だから両親は私を海外に逃すことにしたの。最初は隣国インドに渡り、そこからいろんなルートを通り抜け最終的にベルギーまでたどり着いた。そして、この国は私を守ってくれたから、私は一生懸命オランダ語を勉強して、ベルギーで看護師になって恩返ししたいのだ。少しはにかみながら、ささやかな夢を語ってくれた。
ミチルが日本人だと言うと、不思議に思われる。日本って、平和ないい国だよね? どうしてわざわざベルギーに来たの?
でも、みんなが憧れる日本は移民や難民には冷たい。せめて日本に魅せられた人や頼ってくる外国人たちをもう少し温かく、仲間として受け入れることはできないものだろうか?
こういうところは、優しいベルギーを見習っては如何だろう?